2014年07月21日

Reverse508 おまけその五

それは、十七歳の誕生日を祝ったときにした約束。
ニアにとっては少し早く、カスケードにとっては少し遅い、「おめでとう」を言ったときのこと。
「来年も来ような」と言ったその笑顔を、今でも憶えている。「来たいね」と答えたときの嬉しさは、まだ胸に残っている。
結局、約束は果たせなかった。翌年のその頃にはもう、カスケードがいなかったから。ニアも北方にいて、親友を離してしまった絶望と戦っていたから。
約束の海は遠かった。隣に親友がいなかった、五年間は。
それでも、あの美しい海の色は、親友の瞳と同じ色は、今でもはっきりと思い出せるのだ。
「カスケード、海に行こうか」
あのときは親友から誘ってくれた。だから、今度はニアから言った。
時間は経ってしまったけれど、約束を果たそう。また水面の輝きを、朝焼けと夕焼けの空の美しさを、海色の眼で笑う君の笑顔を、見に行こう。

七月十八日、とても久しぶりにカスケードの誕生日を祝った。五年間ほぼ世間から離れていた彼は、二十四歳になっても、それより少し幼く見えた。背は高くてがっしりとした体つきをしているのに、心はいまだに十代のままのようだった。
けれどもいつまでも時間が止まっているわけではなく、彼は日々成長し、失った五年間を取り戻そうとしていた。軍で身柄を引き取ってから半年以上も経った今では、立派にエルニーニャ軍人としての役割を果たせるようになっていた。いや、カスケードはもともと軍の人間だった。自分と一緒に「人を助ける軍人」を志していた。本来の彼に戻りつつあるだけなのだと、ニアは思っている。
まだ「軍人としてここにいていいのか」ということや、「軍は本当に正しいのか」という疑念は持っているようだ。しかし、そんな悩みはきっと誰でもどこかに持っているもので、その思いを抱きながらも大切なものを守るためにここにいるという人間は、カスケード以外にもいるだろう。
ニアだって、軍が全面的に正しい存在であるとは思っていない。これはニアが大切に思っているものを守り、助けるための、手段の一つに過ぎない。それに替わるより有効な方法があるのなら、そちらを選ぶだろう。ただ、今は、この国ではそれが見つからないだけで。
色々と悩んでいても、時は経つ。季節は変わり、ニアが中央に戻って二年目を迎えた冬から、暖かな春になり、そして夏がやってきた。エルニーニャ中央部の、暑い夏が。
「ニア、ニア! こんなにプレゼント貰っちゃったんだけど、どうやって返そう……」
軍の夏服を纏い、たくさんの包みを抱えたカスケードが、驚いたような困ったような、でも何より嬉しそうな表情でニアのいる事務机までやってきた。ちょうど数日先の分までの大量の書類に手をつけていたニアは、そんな親友の姿に苦笑する。――本当に、彼は人気者だ。
「今日がカスケードの誕生日だってこと、一気に知れ渡っちゃったからね。しかも一週間くらい前からだから、みんな準備は十分にできた。この状況は予想できたことだよ」
「冷静に分析するなよ……。一旦寮に置いてくる。甘いのもいくつかあるから、今度の夜のお茶の時間にでもニアが食べてくれよ」
「甘いの苦手なことはなかなか周知されないね。情報って、やっぱり個々人に都合のいいものが収集されて記憶されるようになってるのかな」
「だからそういう冷静な分析はいいって……」
顔を赤くしたまま眉を下げているカスケードを、ニアはにこにこしながら眺めていた。だが、いつまでもそうしていては仕事にならないので、カスケードを寮に向かわせ、自分はまた書類に取り掛かった。
今のうちに片付けておかなければ、明日から休みをとるのに支障が出る。部下に余計な苦労を背負わせないよう、今できる数日分をしっかりとこなしていかなければならない。
「ニア、今、大荷物抱えたカスケードとすれ違ったけど」
事務室にツキが入ってきた。手には新しい書類の束を抱えている。いくらここにある数日分を片付けたところで、仕事は次々と入ってくる。
「ああ、誕生日プレゼント。カスケードは人気者だからね、バレンタイン以来の大快挙だよ」
「誕生日か。ああやって祝ってもらうの、久しぶりだったんだろうな。口元が緩んでた」
「うん。もしかしたら去年まではビアンカちゃんが祝ってたかもしれないけど、あんなにたくさんの人からお祝いされるなんてなかっただろうね」
カスケードが軍から離れて過ごしてきた五年間について、ニアはいまだに詳しいことを知らない。ときどき思い出したように断片的な話をするが、空白を埋めるには至っていない。けれども、無理に聞き出すようなことではないし、ニアも心のどこかではまだ受け入れきれない気がしているので、それでいいと思っている。
これからのカスケードが少しでも幸せになれれば、ニアはそれでいい。
「今日は仕事を片付けて、明日からは二人で旅行だろ? 別に今日から行っても良かったのに」
「僕が司令部のみんなに祝ってもらいたかったんだよ。カスケードがこれまでできなかったことを楽しんでもらわなくちゃ」
「それもそうか」
「あと、どう計算しても昨日までに仕事を終わらせることは無理そうだった。僕が仕事残して行ったら、クリスとアクトが鬼になって、デスクワーク苦手組が倒れちゃうから」
「……それはそうだ」
会話をしながらも、ニアの手は止まらない。左手でツキから書類を受け取りながら、右手でペンを走らせる。そんな状況でも眼鏡をかけなくなったのは、カスケードのおかげで息抜きができているからだ。この一年半でニアも随分と変わったなと、ツキは実感していた。
そうして定時を迎えるころには、仲間たちの協力もあって、あとを任せられるくらいの状態になっていた。そう、今日は定時で終わらせなければならなかったのだ。
夜は仲間内で、カスケードの誕生日を祝うことになっていた。すっかり定番になった、アクトとディアの部屋での宴会だ。たくさんの料理と、ほんの少しだけのお酒で、賑やかに楽しもうという計画。どんなに忙しくても、予定を詰め込んでいても、これだけは外せなかった。

「ニアさん、今日はあんまり飲まないんでしょ? 仕方ないとはいえつまんないな」
出来立ての料理を運びながら、アクトが口をとがらせた。すでに用意してある酒も、今日は瓶の数が少ない。
「クリスと飲みなよ。彼なら潰れないよ」
「おい、まるで俺らがすぐ潰れるみたいに言うじゃねぇか」
「実際敵わないだろ」
ディアやツキと軽口をたたきあいながら準備をし、次々に訪れる客を迎える。そうして全員と全ての皿が揃ってから、グラスに飲み物が注がれた。
「それでは、せっかくですからどなたか音頭を」
クリスが真っ先に言う。つまり、自分はやらない、ということだ。互いが顔を見合わせている中、立ち上がったのはリアだった。
「私がやります。この中で一番付き合いが長いの、実は私ですからね」
大きな胸をえへんと張って、リアはグラスを高く掲げた。未成年なので、入っているのはもちろんジュースだ。けれども堂々としたその姿は、立派な大人に見えた。
「付き合いなら僕のほうが」
「いいえ、ニアさん。私なんです。お二人を祝うんですから」
目を丸くしたニアににっこり笑ってから、リアの綺麗な声が部屋に響いた。
「それでは、カスケードさんと、少し早いですがニアさんも、お誕生日おめでとうございます!」
「おめでとう!」
「おめでとうございます!」
続いてわっと上がった声に、ニアは顔が熱くなった。今日の宴会はカスケードのために開かれたものだと思っていたのだが、どうやらみんなは、慰労の意味も込めて、ニアには内緒で合同の誕生会を開いてくれたらしい。そう、ちゃんと全員が、ニアの誕生日をも憶えていてくれたのだ。
「去年は忙しくて、ちゃんと祝えなかったので」
「今年は盛大にやろうって決めてたんですよ。……まあ、お二人には明日からのほうが本番でしょうけれど」
去年は事件が重なった上に、カスケードがまだここにいなかった。今年こそはと、仲間たちがこの場を設けてくれたのだ。カスケードは目を輝かせ、ニアは瞳を潤ませながら、全員の顔を見渡した。
「これだって本番だよ。ありがとう。僕らをこんなふうに祝ってくれた上に、明日からの休みも許してくれて、本当に感謝してる」
明日の早朝から、ニアとカスケードは休みをとっている。二人で海へ行くのだ。七年前に「来年も行こう」と約束して果たせなかったことを、今年、ようやく実行しようとしていた。
そのためにニアは酒を控えておこうと思っていたのだが、こんなに嬉しいのに飲まずにはいられない。せめて三杯までにしておこうと誓って、グラスの中の一杯目を一気に飲み干した。
仲間たちとの祝宴はまだ、始まったばかりだ。

翌朝、頭はすっきりしていて、空は晴れていた。丸一日車を走らせるには良い具合だ。助手席のカスケードはまだ宴会の疲れが残っているのか、支度こそきちんとしたが、うとうとしている。その様子に、ニアはくすりと笑ってから、エンジンをかけた。
エルニーニャは大陸の中央部に位置する国だが、ほんのわずかに海に接している部分がある。過去にノーザリアやウィスタリアと交渉して手に入れた土地だ。しかしあまりに辺境で、領海もほとんどないようなものなので、そこに行く人はあまりいない。海が見たければ他国へ旅行したほうが、断然手っ取り早いし、街も整っているので便利だ。
それでもあえてぎりぎり国内であるそこを選んだのは、それが十七歳の頃の自分たちにできる限界だったからだ。少年二人で、よくあんな場所まで行けたものだと、七年後のニアは思う。
「ニア、疲れたら運転替わるからな」
欠伸まじりに言うカスケードには、まだ当分運転を任せることはできなさそうだ。「君の目がちゃんと覚めたら考えるよ」と返して、目的地を目指す。
広大な大陸はまだ未開拓の土地を残していて、首都を出ると荒野が広がっている。その途中に小さな町や村が点在しているので、地図を見ながら休憩地点を考える。視察任務のときと状況はさほど変わらないが、頭の中に義務感や使命感はあまりない。立てなければならない作戦は、ガソリンの確保と運転を交代するタイミングくらいだ。万が一旅人を狙った強盗などが現れたら、その時はその時だ。本意ではないが、闘う準備もしてきた。
幸いにも最初の休憩地までは平和なもので、カスケードもよく寝ていた。それでもニアが退屈を感じなかったのは、長年軍人として長距離運転に慣れてきたためと、時折隣から聞こえてくる寝言が実にユニークだったからだ。いったい何の夢を見ていたのか、彼の家族や仲間たちの名前がよく出てきた。それを目覚めたカスケードに言うと、顔を真っ赤にして呻いていた。
「……ちなみに、何て言ってた?」
「一番笑ったのは、『サクラごめん、もうしないから、そんなでかい注射は勘弁してくれ』かな。危うく運転を誤るところだった。何したの?」
「全然憶えてない……ああでも、なんかサクラが怒ってたような気はする……」
夢の中でも、彼の妹は兄を叱っていたようだ。会うたびに何かしら文句を言っているのだから、無理はないが。そしてそれはカスケードに対してだけではなく、仕事で少しばかり(だと当人は思っていた)無理をしたニアに対しても向けられる。それを思うと、自分の夢に出てきてもおかしくないなと、ニアは苦笑した。
「それにしても、海は遠いね。もうお昼が近いのに、まだずっと先だよ。こんなに遠かったっけ」
「七年前は、俺が運転して、ニアがずっと起きてて喋ってくれただろ。だからそんなに遠く感じなかったな」
すっかり記憶を取り戻したカスケードと、あのときのことをずっと憶えていたニアの認識は同じだった。こうして話ができることで、ニアとの思い出が、ちゃんとカスケードの中にあるのだとわかることが何より嬉しい。
休憩地で軽い食事をとって、デザートにそこで売られていたアイスクリームを食べてから、再び車を走らせる。今度はすっかり目を覚ましたカスケードがハンドルを握った。任務のときはいつもニアが運転するので、この役割はめったにない。けれども、まるで目的地までまっすぐに道が敷かれているかのように、カスケードは軽々と車を走らせていた。
「安心するなあ、カスケードの運転。僕は君になら何を任せてもいい気がするんだ」
「いつも俺の作る報告書にダメ出しするのに?」
「それとこれとは別」
次の休憩地――そこが給油地になる――までは、ずっと喋り通しだった。以前そうだったように、何でもないような話題をいくらでも並べて、大いに笑いあった。
話題の中心は、仲間たちのことが多かった。
たとえばカスケードの銃の扱いが、グレンとディアの指導のおかげで軍人のそれに戻ったこと。その指導の仕方が、グレンはとても丁寧だが常に厳しく、ディアはいい加減なようで本当に危険なことには慎重だったことには、二人の性格の違いを感じると同時に、どれだけカスケードのことを思ってくれているかを知ることができた。
カイとブラックの喧嘩にはカスケードも困っているようで、慣れてきたとはいえ、一旦始まると手が付けられないので対処法はないかと訊いてきた。ニアはいつも「いいから仕事してね」とにっこり笑って面倒な書類を二人に押し付けることで解決しているが、それは上司だからこそできることだ。カスケードには難しいかもしれない。
メリテェアとクリスの会話は理解が難しい、とカスケードが言うと、ニアは首を傾げて「そう?」と返す。たしかにあの二人は頭が良すぎて高尚なことを話しているように聞こえるが、実のところはただ任務の作戦を練っているだけだったりする。あとになって、きちんと誰にでもわかる説明をしてくれるので、全く問題はない。
ハルとアーレイドは、まるで弟のようだと思っていたのが、随分としっかりしてきた。「ハルなんてあんなに小さかったのにね」とニアが笑うと、カスケードが「去年と背はそんなに変わってないぞ」と言った。そういえば、もっと昔に会ったことがあるということを、カスケードは知らないのだった。結局その話題で、しばらくの時間を使った。
ツキの家に夕食をごちそうになりに行ったときの話もした。フォークの作ったグラタンが、それこそとろけるくらいに美味しかった。大きな器一つに作ってあったのをみんなで分けていたおかげで、一緒に来ていたクライスとカスケードで取りあいになったときには、コインの表裏を当てるゲームで決着をつけた。勝ったのはクライスだったが、クレインの「譲りなさいよ、クライス」の一言でカスケードのものになったことは、今でもちょっぴり恨まれている。
つい最近のことだが、ニアが仕事をアルベルトとラディアという珍しいコンビに任せていたのを、カスケードはずっと不思議に思っていた。その答えは「普段アルベルトが肩肘張りすぎてるから、それをほぐすためにラディアと組ませた」ということなのだが、実際のところはそう上手くいかなかった。というのも、意外な展開だったのだが、アルベルトとリアが良い雰囲気になってきたのでラディアがずっとやきもちを焼いていたらしいのである。「僕もあの二人を組ませたのはちょっと迂闊だった」とニアがぼやくと、カスケードは苦笑いしていた。
当のリアはといえば、全ての記憶を取り戻したカスケードともちろんニアにも、幼い頃救ってもらった礼をしたいといって、積極的に仕事をサポートしてくれる。軍のアイドル的存在が今や軍でカリスマ的人気を誇るカスケードと一緒にいると、彼女のファンクラブもどこか諦めたような目をして二人を見ていることがあった。あのエスト准将さえもだ。
色々な意味で、頑張っているのはシィレーネだ。親友であるシェリアに背中を押され、日々カスケードに少しでも接しようと努力している。ただ、彼女の気持ちには、カスケード自身はまだ気がついていないようで、ニアとしては歯痒い思いだった。こうして話をしている間にも、「サクラが厳しいから、余計にシィちゃんは歳の離れた可愛い妹って感じでなー」などと言っている。もし今後もこんなことが続けば、きっとシェリアに全力で尻を蹴られるだろう。
話をしていると、夕方の休憩地点まではあっというまだった。かつてはこうだったな、というのを思い出して、ニアもカスケードも幸せな笑みを浮かべていた。そうして食べた夕食は、昼とさほど変わらない軽食だったが、より美味しく感じた。
車の給油を済ませて、また道に戻る。運転はニアに交替した。これから夜中走り通すので、カスケードにはいつ休んでもらってもいいように、というニアの考えがあってだ。
だが、カスケードは眠らなかった。七年前の道中が、そうであったように。
「……ニア、俺に訊きたいことはないか?」
オオカミの遠吠えも響く夜道を行く途中、彼は隣でぽつりと呟いた。
さすがに夜を徹しての運転は不安なので、眼鏡をかけていたニアは、横目で声の主を見る。夕方までの明るい笑顔が嘘のように消え、海色の瞳は暗く沈んでいた。この深い夜が、彼にそんな眼をさせているのだろうか――早く目的地で、朝焼けが見られればいいのに。
「訊きたいことって? カスケードは、僕に何か言いたいの?」
「そうかもしれない。記憶を失くしていたあいだのこととか、ビアンカのこと、組織のこと……色々あるんじゃないか?」
「聴取のときに必要なことは聞いたよ。……僕だって、君のプライベートまで聞き出すつもりはない。君が聞いてほしいなら別だけれど」
しばらく沈黙があった。闇に押し潰されそうで、息苦しい。エンジンが唸る音と、タイヤと地面による振動だけが感じられる。
そのうち、カスケードが口を開いた。
「……新聞で、世の中の出来事は知っていた。ビアンカが不要だと思った記事を切り抜いたあとの、穴だらけの新聞だ」
「うん。前にそう言ってたね」
「記憶のない俺にビアンカが教えてくれたのは、俺に必要なのは軍を嫌悪することと、ビアンカだけだってことだった」
ビアンカはニアに会ったときに、カスケードとのことを話している。外に出したくないというよりは、ニアに会わせたくないがために、彼を隔離していたのだ。そのあいだ、ビアンカが彼に与えた「娯楽」は、きっと彼女自身だけだっただろう。ニアはあまり想像したくないし、できないが。
「ビアンカは俺を求めてくれたけど、俺はだんだんそれに応えなくなって……会話をしても、返事がおざなりになっていった。そして最後には……」
「もしかして、ずっとビアンカちゃんに申し訳ないと思ってる? 君はそうでも、僕は彼女に同情こそすれ、赦しはしないよ」
カスケードの低い声を、ニアはきっぱりと遮った。ビアンカも、最後までニアを赦さなかっただろうから。自分たちの関係は、そこまでなのだ。
「ニアにまでこの気持ちを背負わせる気はない。ただ俺が、もっとビアンカとちゃんと話せば良かったと思ってるだけだ」
「僕は君がそう思い続ける必要もないと思うけれど。……あくまで僕の考えだから、この言葉は忘れてくれていいよ」
それから、また静寂が流れた。闇の中を走る車の中は、二人ともしっかり起きているはずなのに、それ以上の言葉は交わされなかった。
亀裂が入ったような空気は、夏なのに冷たい。首を緩やかに絞められるような心地で、目的地へと進んでいく。

車が止まったのは、予定通りの時間だった。ニアがエンジンをきるのに合わせて、カスケードが車を降りる。空を見上げると、七年前の記憶がどっと押し寄せてきた。
ニアも眼鏡を外し、車から降りて、向かっていたほうとは逆の方向から昇ろうとする太陽と、その薄紅の光に染まる雲を見た。七年前、ここに到着した時と同じ天が広がっていた。
「……変わらないね」
「変わらないな……」
闇が晴れていく。後方からは、懐かしい音が聞こえた。波が寄せてはかえし、砂をさらっていく、あの音が。
七年越しの約束が、とうとう果たされようとしていた。
夜に何を話していたか、どんな気持ちだったか、それを全て洗ってくれるような景色と音。肌に触れる空気と、潮の香り。
短い朝焼けの時間が終わり、雲が晴れれば、向かう先には空の色を映し出すどこまでも大きな水鏡が現れる。それを見るカスケードの瞳と同じ、鮮やかで深い、海の色がある。
七年経った。そのあいだに、別れ、変わり、再会し、さらに変わった。あんなにたくさんのことが合ったのに、この場所は変わらず存在していた。
息をするのも忘れるくらいに、美しい海。二人で見ようと約束していた景色。
「ニア、ちょっと早いけど」
そしてこの言葉は。景色にすっかり晴れた心で、紡がれるそれは、いつかと同じもの。
「誕生日、おめでとう」
今ここにいるのは、あの頃よりもずっと経験を重ねた、二十四歳の二人だ。けれども想いは、景色と同じに変わらなかった。
「カスケードも」
だからニアも返す。十七歳のあの日に、そう言ったように。
「ちょっと遅くなっちゃったけど……誕生日、おめでとう」
ちゃんと憶えている。あの日見た景色も、あの日交わした言葉も。
ちゃんと憶えていよう。今日見た景色も、今日交わした言葉も。
もう二度と、忘れたりなんかしないように。
「こんなときに、話を蒸し返すのもなんだけど。俺はやっぱり、ビアンカのこともちゃんと憶えていようと思うんだ。罪悪感とか、そういうのじゃなくて」
「僕は彼女を忘れてほしいなんてひとことも言ってないよ。それに、僕だって忘れないから」
顔を見合わせ、微笑んだ。これまで越えてきた過去も、今ここにいるということも、これから訪れるであろう未来も、自分たちなら受け止めていける。二人なら、いや、仲間たちとなら、どこまでだって行ける。どんな景色だって見られる。
「カスケード」
「うん?」
「ありがとう。目が見えない僕を心配してくれて。生きていてくれて。また僕に会いに来てくれて。……一緒にここに来てくれて、本当にありがとう」
話したいことはたくさんあった。やりたいことだっていくらでもある。でも、一番伝えるべきは、この言葉だったことを、思い出す。
カスケードはそれを優しく受け止めて、ニアが一番好きな、太陽のような笑顔で返事をくれた。
「さて、十七歳のときにこのやりとりをしたのは、たしか夕方だったはずだけど。カスケード、ちゃんと憶えてた?」
「あ、そうだったな。オレンジ色の綺麗な空を見たんだった。今日も見るんだよな」
「もちろん」
二人は頷きあい、同時に海へ向かって駆けだした。一晩眠っていないことも忘れて、輝く水の中へと踏み出した。太陽の光に飛沫が跳ね上がり、宝石よりも美しく光を放った。



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posted by 外都ユウマ at 14:18| Comment(0) | Reverse508 | 更新情報をチェックする
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