2014年03月21日

Reverse508 おまけその二

慌ただしかった一年も終わろうとしている。北方から中央に戻り、親友を捜すための仲間集めをし、ついに彼と再会した。忙しくも、幸せを手に入れることができたのだと思う。色々あったが、良い年だった。
それを振り返る場所、つまり今いるここは、その親友の実家だ。ニアの親友であるカスケードは、十三年もの間、実家に戻ることがなかった。こうして年末を家族揃って過ごすのは、久しぶりなんて言葉では足りないくらい貴重なことだった。
はたして、そこに自分がいても良かったのだろうか――ニアは、年越しをインフェリア一家とともにすることになっていた。カスケードと、その妹サクラ、そして彼らの両親が、ニアを招待してくれたのだ。だが、十三年越しの一家団欒に加わって良いものなのか、こうしてここに来てしまった今でも思っていた。

しかしきっかけは、ニア自身の一言だった。北方にいるサクラが年末年始を実家で過ごすという連絡を受けて、カスケードに進言したのだ。
「ねえ、年越しくらい家族でしなよ。長いこと、そんな機会なかったでしょう?」
その言葉に、カスケードは眉を寄せ、口をへの字に曲げた。彼が苦手なピーマンを食べるよう、説得しようとしたときの顔と同じだった。つまりは、嫌なのだろう。
「帰ったら、父さんと喧嘩になる……」
留置所を出て以降、カスケードはニアとサクラに言われて、ときどきは実家に帰るようになっていた。だが、そのたびに父親と衝突するようで、帰ってくるころにはいつも難しい顔をしていた。
数回はニアも同行したのだが、そのときは「客がいる」という意識があったのか、さほど空気は悪くならなかった。いや、実際は一緒にいるのがニアだからというのが大きかった。カスケードはもちろんのこと、その父アーサーも、ニアのことは気に入っているのだ。だからニアの前では、二人は険悪な雰囲気にはならないようにしていた。
もしも年末にカスケードが一人で帰って、父とぶつかることになったら。心がもやもやとする、気分の重い新年を迎えることになるだろう。
「サクラちゃんも帰ってくるんだから大丈夫だよ」
「サクラの前で喧嘩になったら、もっと嫌だ。それに、俺が実家に帰ったら……」
「帰ったら?」
カスケードは一瞬言い淀んで、それから、ぽつりとそれを口にした。
「ニアが、独りになるだろ」
それがカスケードが実家に帰ることを躊躇う、第二の理由。ニアには家族がいないため、年越しも軍の寮で行なう。軍人には、そういう人間も多い。だからニア自身は特に気にしてはいなかったのだが、カスケードはそうではない。彼が記憶をなくす前も実家に帰らなかったのは、父との確執があったためだけではなく、身寄りのないニアを置いていきたくないという気持ちが常にあったからだった。
「僕のことは気にしないで。いつもと同じだよ」
「そういうわけにはいかないだろ。せっかくまた一緒に過ごせるのに、ニアだけを残していくなんて……」
そこまで言って、カスケードははたと黙った。それから、さっきまでの表情が嘘のように、明るい笑顔になった。
「そうだ、ニアも来ればいいんだ! それなら父さんと喧嘩になることもないし、サクラもきっと喜ぶ! 俺も安心だ!」
「え、僕も? でも、僕は君の家の人間じゃないし……」
「それがなんだよ。気が引けるっていうなら、サクラと親に言っておく。きっとニアを歓迎するはずだ」
はたして、その通りだった。カスケードはすぐに北方にいるサクラに連絡をとり、それから苦手なはずの実家にも電話をした。「年末にはニアも一緒に帰るから」と、すでに決まっているような言い方で。それを聞いたインフェリア家の人々の喜びようといったらなかった。ニアはたしかに、大歓迎を受けていた。

以上の経緯で、ニアはインフェリア一家に混ざっている。カスケードは実家にいるというのに上機嫌で、サクラも嬉しそうだ。なにより兄妹の両親であるアーサーとガーネットが、まるでニアも自分たちの子供であるかのように接してくれた。
「ニアさん、今日のお茶はどうかしら?」
「美味しいです。ガーネットさんはお茶を淹れる達人ですね」
「茶もいいが、手が空いたらチェスの相手をしてくれないか、ニア君。カスケードじゃ弱くて相手にならん」
「父さん、無理やりやらせておいてそれはないだろ。ニア、俺の仇とってくれ!」
「お兄ちゃんの手は読みやすいのよ。お父さん、あとでチェス盤貸してくれる? 私もお兄ちゃんやニアさんとやってみたいから」
まだ雰囲気がぎすぎすしがちなインフェリア家が、ニアという存在を得ることによって、家族としての態を取り戻していく。十三年という溝を埋めるように、関係を深め、強固なものにしていく。それなら自分がいてもいいか、とニアは思い直し、紅茶のカップをそっと置いた。
「お手柔らかに。僕もあまり得意ではないので」
それに、ニア自身も救われる。すでに失ってしまったはずの「家族」を、ここにいれば得ることができるのだから。独りではないのだと、思えるのだから。

今年最後の日も、あと二時間ほどで終わろうかという頃。ゲームも一段落し、一家とニアはおそらく今年最後になるであろうお茶会を始めた。このまま新年を迎えるつもりだった。
そんな折に、サクラがしみじみと言った。
「それにしても、お兄ちゃんとニアさん、良い顔するようになったわね。お兄ちゃんはお父さんと普通に会話してるし、ニアさんは本当に明るくなったわ」
ニアはその言葉に頷き、カスケードは首をかしげる。
「明るくなった? ニアはもともと明るいぞ」
「すごく暗かった時期があったのよ。お兄ちゃんのせいでね」
「カスケードのせいじゃないよ。あれは、もとはといえば僕が……」
サクラが言っているのは、ニアがカスケードと一度別れたあと、北方で過ごしていた五年間のことだ。特にサクラと出会った頃のニアは、いつ死んでしまってもおかしくないくらいに心を痛めていた。
だが、ニアがその話をカスケードにしたことはない。これからもすることはないだろうと思っていた。こうしてカスケードが戻ってきた以上は、もう過ぎたことなのだから。しかし、カスケードにとっては、とても流してしまえるようなことではなかった。
「サクラ、当時のニアのことを教えてくれないか? 俺のせいで、ニアが暗かったんだろ?」
「カスケード、その話はいいよ。聞いてもどうしようもないし、つまらないよ」
ニアはカスケードを止めようとしたが、彼以外にもこの話に興味を持った人間がいた。この家では誰も逆らうことのできない存在である、その人物だ。
「詳しく聞かせてもらいたいものだな。ニア君がこの愚息のために、どれだけの苦労をしてきたのか。私たちは、それを知らなければならない。恩人のことを知らずして、適切な礼はできまい」
アーサーがそう言うと、ガーネットも頷いた。サクラが「話してもいい?」と尋ねるので、ニアは少しだけ迷った後、答えを出した。
「僕が話せることは、今となってはもうない。だから、サクラちゃんから見て、僕がどうだったかを話して。僕はそれを、反省しながら聞いているから」
「……わかった。じゃあ、私から見たニアさんについて話すわ。五年前の春、ニアさんが北方司令部にやってきたときから、中央に戻るまで」
紅茶の芳香と湯気が、室内の温かな空気に揺れた。

* * *

兄が失踪したという連絡を受けたのは、十五歳の誕生日を迎えてからそれほど経っていない、春の日のことだった。任務へ赴き、その先で姿をくらませたそうだ。しかし八年も会っていないせいか、なかなか実感はわかなかった。
けれどもそれから一週間ほどして、私の意識を変える出来事が起こった。つまりは、長いこと会っていなかった兄の存在を、はっきりと認識し、そして彼が行方知れずになってしまったのだということを、心に刻むこととなる出会いがあったのだ。
「サクラ・インフェリア軍医。君に紹介したい人間がいる」
私はエルニーニャ王国軍の北方司令部に在籍し、そこで簡易な訓練と深い医療知識を学んでいた。子供のための医者になりたいという夢を父に認めてもらえず、軍医という道で妥協していた。
そうして五年の歳月が過ぎ、その頃には時折、怪我を負った者や病に伏した者の診療を、わずかながらではあるが任されるようになっていた。北方は軍医が多いので、教育もサポートも充実していた。そういう意味では、私は一度軍医になって良かったのかもしれない。
彼を紹介されたのは、こんな日々も悪くはないと思っていた、そんなときだった。
「中央から異動になった大尉だ。視力に異常がみられるために中央での仕事が困難だと判断され、北にまわされてきた。……本来なら、そんな人物は軍を辞めさせられるところだが、彼には身寄りがない。居場所が軍にしかないうえに、とある事情があって、除籍を免れている」
「はあ、視力に……。眼鏡などで矯正できるようなものではないんですか? 任務中の事故で怪我をしたとか?」
「原因は不明らしいが、任務中に発症したらしいな。インフェリア軍医、彼の抱える事情は、君にも関係があるんだよ」
「私に?」
彼を紹介してくれたのは、当時の北方司令部長だった。連れられて来た大将執務室の扉の前で、その人は私に告げた。
「彼――ニア・ジューンリー大尉は、君のお兄さんを最後に見た人物だ。共に任地に赴き、しかしながらそこで一時的に失明状態に陥ったせいで、状況を把握できなかったんだそうだ」
あのときの感情は、何と表現したらいいのだろう。驚きもしたし、辛さもあった。兄の失踪には実感こそなかったものの心配はしていたから。その兄と一緒にいたという人物は、大将執務室の客用ソファに座っていた。
横顔しか見えなくても、すぐにわかった。鬱蒼とした森のような色の瞳に映るのは、絶望だと。顔色もわるく、光に透けて緑色をしている髪にはつやがなかった。もしもかける言葉を間違えたのなら、そのまま死んでしまうのではないかというくらいに、暗い人。それが私の、ニア・ジューンリーに対する第一印象だった。
「ジューンリー大尉。こちらはサクラ・インフェリア軍医だ。これからは彼女が、君の目を診ることになる」
大将の言葉に、彼は顔を上げた。それから私を見ると、目を丸くした。唇が小さく「そっくりだ」と動いた。
「はじめまして、ジューンリー大尉。サクラ・インフェリアです」
「……はじめまして。大尉の、ニア・ジューンリーです」
暗く沈んだ声は、しかし、とても柔らかく穏やかな響きをもって、私の耳に入ってきた。同時に、聞き取れたのは、そこにある深い悲しみ。彼の抱える心の悲鳴だった。

「カスケードに、よく似ているね」
その日中に行なった初回の診察中に、彼は私にそう言った。私の向こう側に、私によく似ているというその人を見ながら。
「そうですか? たしかに幼い頃は、そう言う人もいましたけれど。私は今の兄を知らないので……」
「うん。カスケードは八年、実家に帰らなかったからね。僕のせいだ、ごめん」
なぜ謝られるのか、なぜこの人のせいなのか、私には理解できなかった。だからそれをそのまま返事にした。
「意味が分かりません。兄は父との折り合いが悪かったし、家には帰ってきたくなかったんだと思ってましたが」
「お父さんと顔を合わせ辛いというのは聞いていたけれど、たぶん僕のせいでもあったんだ。僕には家族がいないから、彼はきっと、気を遣ってくれていたんだと思う」
そういえば、大将もそう言っていた。この人には身寄りがないから軍に居続けるしかないのだと。実際、この国の軍は、親を亡くした子供たちが適齢期になってから働き、生きていく場所となる役割も備えていた。彼もその類の人間なのかもしれない。
そして兄は、少なくとも私の知る兄のままならば、そんな人に寄り添うことを選ぶだろうと、私は納得した。確執のある実家に帰るよりは、ずっと寂しい気持ちを抱えている人の傍にいようとするだろうと。
「兄とは、仲が良かったんですか」
「僕らは親友といっていい関係だよ。少なくとも僕は、そう思っている」
彼はそう言って、一瞬だけふわりと微笑んだ。けれどもすぐに暗い表情に戻ると、「それなのに」と続けた。
「それなのに僕は、彼を助けられなかった。どこにいったのかわからないんだ。どうなってしまったのかすら。……ごめんね。君のお兄さんを行方不明にしたのは、僕だ」

診察は毎日行なった。けれども当時は、どうして任務中に彼の目が見えなくなったのか、そして今でも視界のぼやけや暗転が発生するのはなぜなのか、わからなかった。ただ一つ、次第にわかってきたのは、彼が一時的に失明し、兄が失踪した、あの任務の話をしようとすると具合が悪くなるらしいことだった。
先輩軍医に相談し、彼に精神安定剤を処方すると、少しだけ状態が良くなった。彼を蝕んでいたのは、親友である私の兄を失踪させてしまったことへの後悔と罪の意識なのだろうと、私でもわかった。
彼は――ニアさんはそれほどまでに、兄を想っていた。私が知らない兄の八年間を、彼は知っていて、だからこそこうして苦しんでいる。たった一人で。
私は、私の兄のことなのに、何も知らない。知らないから、未だに兄の失踪を信じられずにいる。だからダメージが少ないのだ。負いようがなかったのだ。
もしも、ニアさんと思い出を共有できたのなら。私が兄の八年間をちゃんと知っていたのなら。私はこの心を痛めた人を、救うことができるだろうか。
「ニアさん、薬は効いていますか? 夜はしっかり眠れている?」
「うん、薬はよく効いてるよ。ありがとう。睡眠もとれているし……」
「夜中に目が覚めることがあるんじゃないの? うなされて、汗をかいて着替えることは? 目の下にくまができて、真っ黒になってるわよ」
こんな状態になるまでに、兄を想っているこの人が、私は羨ましかったのかもしれないと、あとで思った。不謹慎ではあるけれど、彼は私の知らない兄を知っているのだから。
「ニアさん、思ったのだけれど。お兄ちゃんについて、なんでもいいから私に話してみない? 楽しかった思い出でも、苦しく思うことでも。私は全部聞くわ。私だって、お兄ちゃんのことが知りたいの。八年も別れているとね、心の中で、その存在すら危うくなってくる。大好きなはずのお兄ちゃんがいなくなっても、こうしてほぼ無感情になってしまうのよ。だから、おねがい」
まくしたてるように言う私に、ニアさんは戸惑っていたと思う。けれどもしばらく考えて、頷いてくれた。
「わかった、話すよ。僕と彼が過ごした八年のこと。……もしかしたら、僕もずっと聞いてもらいたかったのかもしれない」
それから何日もかけて、私はニアさんとお兄ちゃんの話を聞き出した。初めは別れた日のことを、とても辛そうに、視界のぐらつきに耐えながら、語っていた。ずっと懺悔ばかりだった。けれどもそれを越えると、徐々に明るい話も増えてきた。
たとえば、彼らが出会った日のこと。それはつまり、私にとっては兄と別れてから間もなくのことだったのだけれど、この話にはとても運命的なものを感じた。お兄ちゃんは、望まない形ではあったけれど、軍人になるべくしてなったのだと思わされた。
それからの彼らの日々は、とても楽しそうだった。きっと幸せだったから、今の不幸があるのだ。晴れた日も、雨の日も。春も、夏も、秋も、冬も。彼らの過ごした八年は、素晴らしいものに違いなかった。
お兄ちゃんがニアさんを何度も助けてくれたそうだけれど、私にはニアさんも十分にお兄ちゃんを助けているように思えた。二人は支えあってやってきたのだ。別れの日すらも。
ニアさんの話を聞いているだけで、最初の一年が過ぎた。北方の厳しい冬も乗り越え、またお兄ちゃんがいなくなった春の日が巡ってきた。
その頃には、私の中にもちゃんとお兄ちゃんとの思い出が戻ってきていた。ニアさんに話してもらった分、私も私の知っているだけのお兄ちゃんのことを話した。
ニアさんはそれを聞くたびに、ふわりと微笑んでいた。それは私が、きっとお兄ちゃんも、一番好きな表情だった。
どうにかして、この笑顔を常なるものにしたい。彼の心の傷を癒したい。それができるのはおそらく、私ではなく、お兄ちゃんだ。そう感じたのは、ニアさんと私が出会ってから一年と数か月が経ってからのことだった。
「ニアさん、お兄ちゃんを捜しましょう」
中央から資料のコピーを取り寄せ、ニアさんに見せながら、私はそう提案した。それはニアさんのためにも、私のためにも、そしてお兄ちゃんのためにもなることだった。それしか、できることが、すべきことが、見当たらなかった。
「カスケードを、捜す?」
「そうよ。ニアさんの目は、お兄ちゃんがいないと治らないわ。お兄ちゃんがニアさんのところに戻ってきて、大丈夫だって言ってくれなきゃ、ずっと視界は不安定なままよ」
それに、と続けた私を、ニアさんは唇をぎゅっと結んで見ていた。
「それに、私だってお兄ちゃんに会いたいもの」
こんな人を親友に持った、私の知らないお兄ちゃん。繊細で、けれどもしっかり自分というものを確立していて、だからこそ誰よりも苦しみやすいニアさんに、八年ずっと寄り添っていたお兄ちゃん。私はそんなお兄ちゃんに、会いたかった。ニアさんをお兄ちゃんに会わせてあげたかった。そのために動いていることが、辛いことも忘れるくらい前に進むことが、今の私たちに必要なことだと思ったのだ。
「……そうだね。いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。僕たちにできることをやろう。カスケードを、迎えに行かなくちゃ」
私の言葉で、ニアさんはやっと、強気な笑みを見せてくれた。きっとお兄ちゃんにはよく見せていたであろう表情を、やっと見ることができた。
それからは二人で、関係のありそうな事件を調べ、同時にニアさんの体調管理をしっかりとして、私たちは未来を見るようになった。私たちと一緒に、お兄ちゃんが傍にいる未来を。
捜査にはなかなか進展がなかったけれど、どうやら私もニアさんも確たる物事に集中して取り組むことが性にあっているようだった。その間は、前を向いていられる。顔をあげて、遠くを見ていられる。それが私たちにとっての救いだった。

そうしているうちにニアさんは、北方での功績が認められ、昇進し、ついに大佐になった。私も軍医として一人前になったと思う。北方司令部では、ニアさんと私のコンビはそれなりに名の通ったものになっていた。
ニアさんに中央から呼び出しがかかったのは、そんな折だった。
「大総統閣下直々の命令だそうだよ。もしかしたら、カスケードについての情報が何か掴めたのかもしれない。僕は、中央に行くよ」
過去を背負いながらも、未来にその目を向けたニアさんに、五年前の陰鬱な雰囲気はなかった。そこにあったのは、お兄ちゃんと再会したいという願いと、それが叶うかもしれないという希望だった。長く伸びた髪はつややかで、頭の高い位置で結われている。森のような色をした瞳には光が差していた。表情は、笑顔。私と、お兄ちゃんが、一番好きなその顔で、ニアさんは中央に戻っていった。
「中央に行っても、サクラちゃんとのコンビを解消するつもりはないよ。僕らはいつだって、カスケードを好きな者同士だ」
「そうね。私たちは、……同志だわ」
私たちは固く手を握りあい、それから離した。ここからきっとなにかが動き出すと、信じて。

* * *

「……それが、私とニアさんの五年間。お兄ちゃんの行方は全然わからなかったけれど、私とニアさんが心の整理をした、大切な五年よ」
サクラが話を終えた頃には、もう日付が変わろうとしていた。新しい年がやってくる。カスケードがこの場所にいる、新たな日々が始まる。
ここに至るまでの道のりは、けっして平坦なものではなかった。独りではきっと、乗り越えられなかった。ニアとサクラが出会い、二人の心に常にカスケードの存在があったからこそ、現在があるのだ。
「そっか。ニアもサクラも、俺のために頑張ってくれたんだよな。ずっと、そうして、待っていてくれたんだ。それなのに俺は全部忘れてしまっていた」
「まったく、しかたのない愚息だ。ニア君、サクラ。よくやってくれた」
父に小突かれ、カスケードはばつが悪そうに、けれども笑顔を浮かべていた。大切な人たちがずっと自分を想っていてくれたことが、嬉しかった。
そしてニアとサクラは、その光景を見られることが嬉しかった。そうしてこの年を締めくくることができるということが、心の底から喜ばしかった。
「良い話で年を越せるわね。……私たち家族がやり直せたのは、ニアさんとサクラ、他にもたくさんの人たちがいてくれたから。本当に、幸せなことだわ」
母が温かいお茶を淹れ直してくれた。時計の針が、一年の終わりと始まりを告げる。
「もう、始まっていますよ。インフェリア家の全員が揃って、新年を迎えることができて、僕も嬉しいです」
ニアがそうしてふわりと微笑むと、カスケードがその手をとった。
「ニアだって、俺たちの家族だ。ここも自分の家だと思ってくれていいんだぞ」
喪ったものは取り戻せない。けれども、新たな場所を、仲間を、得ることはできる。つくりだすことはできる。まだ失っていないものなら、手をのばせば届くこともある。それを、ニアたちは長い時間をかけて証明した。
「……ずっと実家に帰らなかった人が、何を言っているんだ。でも、うん。嬉しいよ。とてもとても、嬉しい」
そして、道はそれで終わりではない。これからもずっと続いている。続けていける。背負うものはあるけれど、その荷物を持つのは、独りではない。
ずっと、独りなんかじゃなかった。ニアも、サクラも、カスケードも。
「今年も、それ以降も、ずっとずっとよろしくな。ニア」
「うん、よろしく。サクラちゃんも、お父さんとお母さんも」
「当然よ。私たちは同志でしょう」
あの日がなければ、この時はなかったかもしれない。きっとそう思えることが、これからもあるのだろう。積み重ねる一つ一つが、結びつき、繋がり、未来を手繰り寄せる。だから日々を大切に、慈しみながら、生きていこう。
この目に映るものの全てが、素晴らしいもので満たされるように。



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posted by 外都ユウマ at 17:31| Comment(0) | Reverse508 | 更新情報をチェックする

2014年03月16日

Reverse508 おまけその一

仕事終わりの一杯が格別なのは、いつのときも同じこと。仲間が増えても、変わらない。むしろ楽しみが広がるというものだ。
事務仕事が多く、体を動かす方が得意な面々がストレスを溜めていたその日、ニアはぽつりと言った。
「よし、今夜はみんなで食事でもしようか」
我らが大佐は、真面目な見た目と仕事への取り組み方からは容易に想像がつかないのだが、食事会と酒が好きである。あるときはキルアウェート邸で、フォークの作るつまみとともにツキたちとの会話に興じ。またあるときは軍人寮のディアとアクトの部屋へ行き、部屋の主(の片方)が作る料理に舌鼓を打ちながら、みんなでわいわいと愉快な時間を過ごす。
それぞれに都合があることや、支度の手間、ニア自身の体調や仕事量などによって、それができる日は限られている。特にカスケードが帰ってきてからというもの、そんな暇はなかなかなかった。
というわけで、今夜がカスケードの宴会初体験になる。ニアの何気ない一言に、目を輝かせて飛びついてきた。
「みんなで食事するのか? 寮の食堂で、って意味じゃないよな?」
ニアに駆け寄って、期待いっぱいに声をかける彼は、まるで尻尾をぶんぶんと振る犬のようだ。同じ班の人間だけではなく、事務室にいた誰もが同じことを考えていた。
「誰かの部屋に集まって、みんなでご飯を食べながらお酒を飲もうかって話だよ。僕らの班ではたまにやるんだけれど、カスケードはまだやったことなかったよね」
「大抵はおれとディアの部屋でやるよ。料理するのにも都合がいいし、酒もジュースも用意できてるから。今日もそうしようか」
ニアのところに書類をとりに来たアクトが、言葉を添える。そういえば、カスケードはアクトの作る料理も食べたことがなかった。歓迎の意味も込めて、今回のような場を持つのもいいかもしれない。
ニアとアクト、そして周囲も加わって、今夜の予定について盛り上がる。楽しみができれば、退屈なデスクワークも乗り切ることができるというものだ。
しかしそんな中、カスケードが少し困った顔をして切り出した。
「ニア、酒飲むのか?」
「飲むよ。蒸留酒も果実酒も、わりと何でもいけるかな。そうか、カスケードとは飲んだことなかったよね」
「うん、俺、酒自体飲んだことないんだ」
飲まなきゃダメかな、と苦笑するカスケードに、ニアは、そして周囲は、一斉に固まった。それからやっと、彼の時間が十八歳のままで止まっていたことを思い出したのだった。どうやら彼を五年間外界から隔離していたビアンカ・ミラジナは、酒の味すらも覚えさせていなかったらしい。覚えなくてはいけないものでもないが、全く知らないというのももったいない気がする。
「……それじゃ、飲んでみようか? あまり強くないものから少しずつ。たぶんカスケードはそんなに弱くないと思うけれど」
サクラからインフェリア家の食事情は聞いている。カスケードらの両親は、どちらも人並み程度に酒を嗜むことができるはずだった。その血を継いでいるカスケードが、極端に酒に弱いということはないだろう。たぶん。
「酒かあ……。なんか大人な感じで、ドキドキするな!」
まるで成人したてのようなことを言う二十三歳の彼に、ニアはくすりと笑った。微笑ましいと同時に、五年という溝をほんの少しだけ切なくも思っていたが、それは顔に出さなかった。

業務終了後、ニアとカスケードはアクトとディアについて買い物に出かけた。なにしろ大人数で飲食を共にするのだから、たくさんの材料が要る。資金提供と荷物持ちが必須だ。
買い物が好きなカスケードは、それだけでわくわくしていた。ディアに「お前はガキか」と呆れられるくらいには。
「そういえばクリスマスだったな。ここぞとばかりにメインの肉類が高騰してる……」
「資金は僕が出すから、気にしないで買っちゃって。美味しいワインには美味しい食事がなくちゃね」
大きな子供の相手をひとまずディアに任せ、ニアとアクトで買い物を進める。
酒はワインとシャンパンにした。他の果実酒は部屋にストックがあるので、あまり買い足さない。強めの酒はツキがギャンブルで勝ち取ってきたものがあるというので、そちらに頼むことにする。料理も一部はフォークが作ってくれるらしい。だからそれほどの負担はない。
みんなで協力して、ガッツリ飲もうという算段である。
「アクトって、何でも作れるのか? すごいな!」
買い物かごを見ながら、カスケードが感嘆する。すると珍しくアクトが顔を赤くし、「何でもってわけじゃないけど……」と返した。普段冷静な彼も、素直に尊敬を向けられると弱いらしい。それが面白くなかったのかディアが舌打ちしたが、ニアになだめられた。
そうして買い物を終えて寮に戻ると、すでに部屋の前には人が集まっていた。その中には、昼間はいなかった人物の姿もあった。
「アルベルト、来られたの? 手は大丈夫?」
手を怪我して入院しているはずのアルベルトが、ブラックに連れられて来ていた。驚きながらも喜ぶニアに、アルベルトも嬉しそうに返す。
「ブラックが迎えに来てくれて、一時的に外出の許可が下りたんです」
「具合が悪くなったら即送還だけどな」
久しぶりに、いや、初めて全員が揃っての食事会ができる。ニアの夢の一つが、ようやく叶う。感極まって、ニアはアルベルトに抱きついた。
「みんなが一緒にいられるなんて、すごく幸せだよ。ずっとずっと、こんな日が来るのを待ってたんだ」
「ニアさん、苦しいですよ。……良かったですね、この日に辿り着くことができて」
言いながら、アルベルトはカスケードに目配せした。彼にも「良かったですね」を送ったのだ。それを受け取って、カスケードも頷いた。
さて、ここからは宴の準備だ。アクトが台所に立ち、そのアシストをカイとクリス、女の子たちが行なう。ニアとブラックがディアを手伝って部屋を片付ける。アルベルトとカスケードは他愛もない話をしながら、その様子を見守っていた。
ツキがフォークとともに料理と酒を持って来る頃には、宴の準備はほぼ整っていた。テーブルの上には彩りの良い皿が並び、飲み物がグラスに注がれていく。
ことが運んでいくにつれ、カスケードがわくわくそわそわしているのを、ニアは笑顔を浮かべて見ていた。――こんなことは、彼にとっては初めてだろう。大勢で集まって、賑やかに食事をするなんて。それがどんなに素晴らしいことか、今日はたっぷり教えてあげたい。
全てが揃ったとき、乾杯の合図が、高らかに響いた。

さて、カスケードにとっては初めての酒である。リンゴ酒を炭酸水で割ったものをニアから受け取った彼は、まずその匂いをかいでいた。
「りんごの良い匂いがする……でも、ちょっとアルコールっぽい」
「そりゃあ、お酒だからね。飲みやすくなってるはずだから、まずは一口どうぞ」
そう言ってカスケードにソーダ割りを勧めるニアの手には、爽やかな芳香の白ワイン。このあと徐々にアルコール度数の強いものへとシフトしていくつもりだ。けれども、今日はカスケードに合わせて、ゆっくり飲むことにする。
ニアの視線を受けながら、カスケードはそっとグラスに口をつける。そして舐めるようにして、その味を確かめた。
「甘い……いや、ちょっと苦い? 少しつんとする感じだな」
「それが大人の味だよ、カスケード」
同い年のはずなのに、まるで弟でもできたかのような気分だ。カスケードが成長したような気がして、ニアは目を細めた。そしてその勢いで、自分もワインをあおった。「ゆっくり飲む」という最初の思いは、もうどこかへいってしまっていた。嬉しければ、楽しければ、ニアは飲む。
「良い飲みっぷりだな……」
「いつもの僕だよ。カスケードには意外だった?」
「そもそも、ニアは酒とか飲まないかと思ってた」
そう言いながら、カスケードはちびりちびりとりんご酒ソーダ割りを飲む。だがそこへ、ここぞとばかりに、いつもニアと酒を飲む成人組が口々に真実を告げた。
「ニアは飲むぞ。俺とツキよりな」
「アクトと飲んでも潰れないからな。うわばみだぞ、こいつ」
「強めのにも付き合ってくれるから、おれとしては嬉しいんだけどね」
「美味しいものが好きなだけだよ。うわばみだなんて失礼な」
その間にもニアはどんどんグラスに注がれる酒を飲む。「いつものことだな」とグレン、「悪酔いしないからいいですよね」とカイ。未成年組にもこの事実は認識されているのだ。
カスケードは驚きながらも、自分も飲むペースを上げていた。ニアに影響されて、無意識に一口分が多くなっていた。グラスが空になると、「作りましょうか」とクリスが手を差し出してくる。彼も未成年のはずなのだが、アルコールには慣れているといって、さっきから隙を見て酒を飲んでいるようだった。
「あ、ありがとう、クリス……。あ、あ、そんなに注がなくていいから」
「どうせ飲むでしょう。ニアさんがあの調子ですからね、きっとカスケードさんも、気が付けばお酒に慣れていますよ」
並べられた料理と酒はどちらも美味しくて、よく合っていた。アクトやフォークの作った料理はどれも出来が良く、カスケードがこれまでに食べたどんなものよりも美味しく感じた。会話も弾み、食と酒は進む。
いつの間にかクリスの言う通り、カスケードもすっかり酒に慣れていた。
「結構飲んでるみたいだね。これからはカスケードとも晩酌できるかな」
さっきからいったい何杯飲んだかはわからないが、全く顔色を変えていないニアが言う。グラスの中身は強い蒸留酒に変わっていた。
「ニア、みんなで食事をするのって楽しいな。こんなに大勢で、賑やかに過ごすなんて、少し前までは考えられなかった」
「これからは何度だってあるよ。僕たちが、楽しいことをたくさん教えてあげる。君がそれを受け入れるのも拒否するのも自由だ」
「拒否なんかしない。こんなに楽しいのに、拒めるわけないだろ」
二人は肩を組んで、グラス同士をぶつけあった。きん、という涼しい音がした。

翌日、カスケードは激しい頭痛と嘔気に悩まされることとなった。「うわばみ」であるニアと一緒に飲んでいたせいだ。
「ええと、ごめんね?」
それを介抱しながら、ニアが申し訳なさそうに言う。カスケードは弱々しく笑って応えた。
「俺が調子に乗ったからだよ」
「そうさせたのは僕だよ。……今度からは、気をつけるから」
「ニアはニアの好きなように飲めよ。俺は自分の限界がわかったから、もう大丈夫……」
やっぱり、ときどきは拒むことも我慢も必要だ。翌日まで楽しんでこそ、宴なのだから。
「また、みんなで飯食おうな。……また今度」
「うん、だから今は寝てなよ」
残ったのは楽しい思い出と、ちょっぴりの後悔。



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posted by 外都ユウマ at 21:20| Comment(0) | Reverse508 | 更新情報をチェックする

2014年03月09日

Reverse508 あとがきにかえて。

リバース振り返りと裏話です。
まず本作の正式タイトルは『Dependence Reverse508』で、大筋はディペ(と、原作のお話)をなぞったものになります。
「裏返しの物語」と銘打っていましたが、内容は「もしもニアが生きていて、主人公ポジションをつとめていたら」というIfでした。
お遊びから始まって、最終的に27話構成という、他のシリーズとさほど大差ないお話になったのは、書いた当人もびっくりしています。
そんなリバースでしたが、途中で「これはキルハではなくディペだ」と思い直したりして、先の正式タイトルに落ち着きました。

本作の主人公はニア・ジューンリーでした。ディペ本筋では、設定当初から故人というなんとも酷い立ち位置でしたが、その役割は重要なものでした。
その彼が生存しており、かつディペ本筋で主人公(当初はディアが主人公だったけれどその立場をくった人)だったカスケードが「行方不明」というかたちになっていたのが、「リバース」です。
本筋では優しく儚いイメージであり、クローンとして復活した「LastMission」では憎悪と悲しみと執着の象徴だったニアが「主人公」となったとき、どのような一面が見えるのか。書いていて楽しい要素の一つでありました。
まず「23歳大佐のニア・ジューンリー」の組み立てから始まったわけですが。当初(何年か前に書いていたリバース原案のメモより)決まっていたのは、目に後遺症があることと、カスケードに守られて生きていたということくらいでした。
親友との別れや目の後遺症と向き合って成長したニアは、本筋とはまた違う面をもって描かれました。根本は基ニアもクローンニアもリバースニアも一緒なんですけれどね。だから本筋で描けなかったニアだった、というほうが正しいのかもしれません。
一本通った信念を持ち、ちょっと頑固なところがある。それが我儘になることも。笑顔は人を癒し、けれども自身はトラウマが多くて情緒不安定。それがニア・ジューンリーの人間像です。
一度は北方に左遷され、大佐になって再び中央に呼び戻されたという設定でしたが、北方にいたのはもちろんサクラとの関わりを持たせるため。大佐という階級を与えたのは、カスケードと対にするため。このあたりは非常にシンプルです。
仕事が仲間集めから始まったのは、「もしかしたらカスケードが大佐として負っていた役割にもこんな意味があったかもしれない」という想像からきたものです。でなきゃ、あんなに問題ありの優秀人材が集まるなんてことあるかな、という考えで。
書いていくうちに、ニアだから得られた展開、カスケードだから得られた展開、二人に共通するもの、が見えてきました。カスケードのような「生粋のカリスマリーダー」だからできたこともあれば、ニアのように「ひたすらの努力と執念」でクリアできたこともあります。共通するのは「かつて大切な人を助けられなかった後悔」。そこへの依存が、本筋でもリバースでもポイントになっていたのではと思います。
仕事の仕方の違いは顕著でしたね。カスケードはわりと事務仕事は避けて溜めこんでしまって、結果的にみんなを巻き込んで片付ける、ということが多かったです。ニアは自分でやろうとするがあまりに、部下への配分がなかなかうまくいかず、そこを周囲にカバーしてもらうということがしばしば見られました。吹っ切れるとがんがん仕事下ろして、事務仕事の鬼と化していましたが。

他のキャラクターはどうでしょうか。先述の通り、カスケードには人を惹きつけるカリスマ性があったようで、どんな無茶をしてもみんな「カスケードだから」でついてきてくれました。が、ニアは普通の人でした。地道に関係を築いていくしかありません。
ただし、積み上げてきたものはありました。それがディアの養父に助けられたという過去であり、リアやハルとの関係であり、カスケードという大きな後ろ盾です。これを利用しない手はないでしょう。
ニアのキャラクターがあって、他の人々の立ち位置は少し変わりました。それが顕著なのはやはりディペのキャラでしょう。
ディアは時々、カスケードの役をしていました。情緒不安定で、けれどもリーダーとして相応しい振る舞いをしなければならないというニアに、年下ながらも「しっかりしろ」と言えるくらいには兄貴でした。ディペ初期の立ち位置を取り戻したようで、私はこっそり感動していました。
アクトは本筋よりしっかりしていたと思います。不安定さはニアにほとんど持っていかれた感じでした。彼がリバースで人との関わりに臆さない子であれたのは、ニアがいい意味で「頼りなかった」からでしょう。
アルベルトは違いが最もわかりやすかったと思います。カスケードのような「超お人好し」が相手なら、彼はうまく自分を隠して振る舞えていました。それが本筋です。しかしニアのように「真面目に物事に執着している」タイプの、つまりはアルベルトの本質とよく似た人間には、ごまかしがききませんでした。
ブラックは「アルベルトタイプの人間が二人もいる」という状況になって、緩衝材の役割を果たすこととなりました。ニアとアルベルトの間にいたからこそ、本筋よりも立ち位置と考え方がソフトになっています。おそらく、リバースの苦労人ポジションは彼だったかと。
ディペのメインメンバーの他にも、クリスのポジションが上司を補佐する重要なものになっていたり、メリテェアがいろんな意味で強化されていたりしました。本筋でほとんど出ていないシィレーネの立場は、リバースでは物語の行方を左右するものになりましたし。
そして、カスケード。記憶を失うことに加え、五年間外の世界にほとんど触れてこなかったことによって、彼の成長は18歳で止まりました。リバースでは純粋な存在として、キャラクターが作られていました。親友を失わなかったということが、彼に与えられた大きな影響だったのではないでしょうか。
その代わりに五年という時間と、その間にあったはずの自由を失いました。けれども、彼もニアと同じく本質は変わっていません。記憶と知識を頼りにし、「拠り所」に依存し、生きていました。本筋と大きく違うのは、この「生きていた」という部分です。
生きている可能性があったからこそニアが動けたわけで、すでに親友の死を見てしまっていた本筋のカスケードとは状況が違いました。
本筋のようにニアを戦いに出すという選択をせず、自分一人で敵に立ち向かっていったカスケード。一方で記憶を失った後は、戦いを楽しむ面も見せたり、かと思えば命を奪わなければいけないという状況に立たされて怖れを抱いたり。不安定なようで、勇敢な臆病者という性格は変わっていないなあと思いました。
イリーを殺した後に引きこもったのが、子世代のニアの行動と似ていることに気づいたのは指摘されてからです。無意識にそっくり親子を作りだしていました。
色は完全に遊んでいました。エストカラーやりたかったなあ……やってたらアクトとも色かぶってたけど。
あ、本筋ではほとんど出なかったけれどリバースでは活躍していたキャラクターに、セントグールズ・エストとサクラ・インフェリアがいます。ニアを通してインフェリア家を書きたかった、という目的が最終話にはありました。

リバースは、ニアの物語であり、カスケードの物語でもあります。カスケードの希望が、ニアの願いが、ほぼ叶えられた世界線です。最終話にはタイトルをつけようかとも思っていました。「Blue hope Green wish」と。
本筋で出来なかったことを、今思うとこんなエピソードがあっても良かったんじゃないか、これはこういうことだったんじゃないのか、という可能性を込めて書いたものです。これは私の希望で、願いでもありました。
無意識に「こんなところに本筋との共通点が!」と思うようなことがかかれているかもしれません。書いてみて、「彼らはたしかにこの世界に生きているのだ」と感じました。物語中で失われてしまった命もありますが、彼らにも、また人生があり、描かれていないこともおこっているかもしれません。
私の書いたこと以上に、それを想像していただければ幸いです。
それでは二カ月間ありがとうございました。まだ書き足りないので、エピソードは増えるかもです。目下書きたいのは、北方時代のニアの話や、最終話後のニアたちのことです。いつになるかはわかりませんが。


おまけ。私のある日のツイートより。
十五話でなぜカスケードは、記憶の声を一瞬アクトのものだと思ったか。真相をアクトがカスケードに訊いてみました。
「そんなに低くなくて、柔らかい声だったからな。女の子かなーと思ってて」
「それ、初見でおれのこと女だと思ったってこと? おれ、軍服着てたよね? カスケードさんの仕事、今から倍にしていい?」
結果、カスケードは仕事配分担当のアクトによって仕事を増やされました。
おまけその二。二十七話のニアの台詞を聞いていたサクラの証言。
「お兄ちゃんに対しての台詞とか、うちのお父さんに言ったこととか、総合するとプロポーズに聞こえて仕方なかったわ」
「え? そんなこと言ったかな?」
「もういや、この無自覚……」
あくまでニアの感情は「何が何でも守りたい親友」に対するものです。それと、本筋では23歳カスケードが「ニアのことが好きだ」と一生片思い宣言してましたが、リバースのカスケードはそこまで到達していません。なかよしこよしで。
でもニアの台詞が「どう聞いてもプロポーズだった」ことについては、その後の話でやりたいです。こういう話が好きそうな人に思い切りつついてもらいたい。カスケードとシィレーネのフラグも立てっぱなしですし。回収したい……!
想像にお任せするのも楽しみ方だと思いますけれど。
posted by 外都ユウマ at 22:55| Comment(0) | Reverse508 | 更新情報をチェックする

2014年02月28日

Reverse508 最終話

留置所面会室の、透明な境の向こう側には、驚愕の表情。こちら側には腕を組みながらむすっとしている彼女。二人を見比べて、ニアは苦笑いを浮かべていた。
「な、なあ、ニア。これ本当にサクラなのか? 俺の知ってる妹と随分違うんだけど」
カスケードがついにその言葉を言ってしまったとき、彼女は爆発した。
「十三年も経ってるんだから、変わるにきまってるでしょ?! どうして帰ってこなかったのよ、お兄ちゃんのばかぁっ!」
ニアがカスケードに会わなかったのは五年だったが、サクラはもっと長かった。実家と断絶状態にあったカスケードは、妹の過ごした十三年間をまったく知らない。彼女が北方軍で軍医となったことも、カスケードの失踪をきっかけにニアと交流を持つことになったことも、これから説明しなくてはならない。だから、その前に。
「サクラちゃん、落ち着いて。カスケード、彼女は間違いなく、君の妹のサクラちゃんだよ。もう立派な大人だ」
「ああ、そっか。……ええと、すごい美人になったな。今、いくつだ?」
「二十歳よ。もう、お兄ちゃんが知っている幼い子供じゃないの」
ぎこちない兄妹は、これから空白を埋めていけるのだろうか。今日はそれを見守るだけにしようと思っていたが、どうにもそうはいかないようで。
「ニアさん、橋渡しお願いね。お兄ちゃんと話が通じるかどうかわからないから」
不安を抱えた彼女を支えるのが、今日の大事な仕事のようだ。

司令部襲撃から二日。サクラが中央に再び訪れた。もちろん、ようやく帰ってきた兄に会うため。そして、それによる家族会議のためでもあった。
「お父さんからも、お兄ちゃんが帰ってきたことは聞いたわ。大総統閣下のお考えも」
ニアに会ってすぐ、サクラはそう言った。大総統ダリアウェイドは、インフェリア家現当主と同期であり、若い頃から交流がある。先に話をしていても、おかしくはない。
「お父さんはどう考えてるの? カスケードを軍で預かることには、賛成?」
「……その話、あとでいい? 十三年間絶縁してて、今になってそんなことを言われても、どうしたらいいのかわからないのよ。……まだ、お兄ちゃんにも会いに行ってないみたいだし」
昨日までの時点で、カスケードに面会したのはニアだけだった。大総統から連絡がいっているにもかかわらず、北方にいたサクラを除くインフェリア家の人々は留置所を訪れていなかった。
「お兄ちゃんが、いなくなる前にお父さんと和解して、何度か帰ってきてくれていれば良かったんだけれど。それがなかったから、いなくなったって聞いても、帰ってきたって知らされても、実感がわかないの」
「……たしか、カスケードは軍人になるつもりはなかったんだよね。でも軍家の人間だからって、お父さんに軍人になるように言われたんだっけ」
「そう。お兄ちゃんが軍人になれば、私が軍に入らずに医者を目指すことを考えてもいい。そういう条件だった。結局私もこうして軍医になってしまったけれど、当時のお兄ちゃんは、私に夢を諦めさせないために軍人になった。だから、お兄ちゃんが家に帰ってこないのも、いなくなったのも、私はどこかで仕方のないことだって思ってた。……もちろん、会いたかったけれどね」
サクラと留置所に向かう途中、ニアはインフェリア家にある問題を改めて考えることとなった。カスケードたちの両親は、カスケードは軍に戻るべきだと思っているのだろうか。また大尉として復帰し、軍人として生きていくことを望んでいるのだろうか。
「サクラちゃんは、カスケードに軍に戻ってほしい?」
「ううん、私はお兄ちゃん次第だと思ってる。以前なら、軍を辞めてほしかったかもしれないけれど。……今は、たとえお兄ちゃんが軍に戻ることを選んでも、止める気はない。ニアさんたちがいるから」
妹は兄を、そして兄を受け入れてくれるであろう人々を、信頼していた。
ニアたちはそれに応えなければならない。応えるべくして、存在しているのだ。

そうして現在、ニアとサクラは留置所で、カスケードと話している。
だが、ずっと会っていなかった妹と何を話していいのか、カスケードはわからない。サクラはサクラで、写真ではない実物の兄と、どうやり取りをすればいいのか考えているようだった。
そこでニアが仲介に入る。
「カスケード。サクラちゃんは五年前から、僕の目を診てくれたり、君を一緒に捜したりしていたんだよ。彼女は北方司令部で軍医をしていて、僕も君がいなくなってから、今年の二月まで北方にいたんだ」
サクラのことだけではなく、自分のことも話す。カスケードはそれを頷きながら聞いていた。ときどき自分の記憶を探るように目を閉じては、切なげな表情をしたり、何かに気づいたりしたような表情を見せていた。
「サクラ、お前、医者になるんじゃなかったのか? 父さんは、約束を破ったのか?」
そうしてやっと言ったのが、それだった。
「お父さんは、お兄ちゃんが軍に入ったら、私が医者になることを考えてもいいって言ったのよ。たしかに考えてはくれた。その結果が、軍医という道だったの。……でもね、私ももう大人になった。これからだって、自分の道を選べる。もうすぐ軍を辞めて、憧れだった小児科医を目指すつもりよ。だから、お父さんが約束を破ったなんて言わないで」
「……そうか」
ニアが知る限り、カスケードが自分の家のことを語ったことはあまりない。軍家インフェリアの息子として見られることを、彼は昔から嫌がっていた。サクラという妹の存在も、いるということは言っていたが、彼女がどんな人なのかはほとんど話してくれなかった。だからニアは、北方で本人に会ったときに大層驚いたのだった。あまりにもカスケードに似ていて、けれどもその性格は、彼よりもずっとしっかりしていて厳しい。そんな印象だった。
カスケードが自分の家族のことをニアに教えなかったのは、家名というフィルタを通して見られたくなかっただけではないだろう。すでに家族を失ってしまった、ニアに対する気遣いもあったのだと、今は思う。だが、その気持ちは、カスケードが余計に実家から遠ざかるという結果を生んでしまった。サクラに、寂しさを与えてしまった。
「北方にいたなら、サクラも父さんと母さんにはあまり会っていないのか」
「私はお休みをもらって帰ってたわよ」
「サクラちゃん、お父さんとお母さんは、元気?」
「……元気よ。お父さんは相変わらず無口で、お母さんは明るいわ。そこは、お兄ちゃんの知っているお父さんとお母さんと変わらないはず。でも、やっぱり年をとったからかしら。少しずつ、彼らの背中が小さくなっていくの。会うたびに、それがちょっと切なくなる」
サクラの一言一言を、カスケードは噛み締めるように聞いていた。十三年間知ろうとしなかったことを、彼は今、妹によって突きつけられている。
「サクラ、ごめんな。俺、父さんから逃げてたんだ。逃げたまま、いろんなことを忘れてしまっていた。せめてサクラの進路は、見届けるべきだったな」
「見届けたところで、お兄ちゃんはどうせお父さんと喧嘩してたわ。……過去のことはもういい。お兄ちゃんは、これからちゃんと家族に顔を見せて。私と、それだけ約束して」
妹の懇願に、兄は答えを迷う。ニアに視線で助けを求めるが、これはカスケードが自分の言葉で、きちんと決めるべきことだ。彼の家族のことなのだから。
「カスケード。思い出してるんだから、わかるよね」
「……うん。どうせこうなった以上、家族会議は必至だし。でも、俺はまだここから出られないんだよな」
カスケードが家族に会うためには、ニアとサクラがそうしているように向こうがやってくるか、カスケード自身がここから出て実家に行くしかない。彼がここから出るためには、全ての事情聴取を終え、彼の処遇を決める必要がある。
言うしかない。今この瞬間が、大総統の意向を彼に伝えるべき時だった。
「カスケード、君の処遇について、大総統閣下が考えていることがある」
「俺の処遇? 軍を襲撃したんだから、刑罰を受けるのは確定じゃないのか」
「それが、まだ決まってないんだ。でも、閣下は君に、軍に戻ってほしがっている。君の身柄を軍で預かり、再び裏社会に取られることのないように、監視下に置こうとしている」
「俺が、軍に?」
カスケードは眉を顰める。やはり、戻る気はないか。そんな気にはとてもなれないだろう。ニアは「君の意思に任せる」と言ってしまおうとした。
だが、それは当の本人からの問いによって遮られた。
「他の組織の人間はどうなったか、確認していいか?」
「……生存しているオレガノ・カッサスとマカ・ブラディアナは拘束された。カッサス氏は、今朝、南方に送られることが決定したよ。南方の大佐が、受け入れを申し出たんだ。マカはクローンということもあって、扱いについてはまだ話し合い中」
「生存、ってことは、あとは死んだのか」
「マカが殺害を供述している。……あ、アルベルトは怪我はしているけれど、生きてるよ。彼はもともと人質ということになっていたから、そのまま軍に留まる。閣下は君も、アルベルトと同じ扱いにしたいんだと思う。記憶がなかったこともあるし、僕もそうして君を弁護したいと考えている」
ニアの答えを聞いて、カスケードはしばらく黙っていた。彼の考えていることはわかる。アルベルトは人質扱いでも問題ないが、自分は五年もの間組織に関わってきた。それが人質という扱いで、本当に良いのだろうか。しかるべき罰を受けるべきではないのか。おそらくは、そんなところだろう。
沈黙に耐えられなくなったサクラが、言葉を継ぐ。
「家の都合もあるのよ。インフェリア家の人間が、いつまでも留置所にはいられない。刑罰を受けるというのも、できればあってほしくない。お兄ちゃんは、こんな考えは大嫌いでしょうけれど」
「そうだな。そんな特別扱いはごめんだ」
予想通りの答えだった。彼は特別扱いのない審判を望んでいる。その「特別」がなければ、彼はこのまま刑を受けることとなる。ニアがどんなに弁護したところで、しばらく拘束されることには変わらない。
それでは、一緒にいられない。ニアはまだ、カスケードと一緒になれない。早く、彼と過ごせるようになりたいのに。
――ニアさんの本当の気持ちを言っちゃったら?
――言ってもいいと思いますよ。軍で待ってるって。
頭をよぎる、仲間たちの言葉。ニアには、自分の想いを言う権利がある。カスケードを捜してきた分だけ、彼に思いのたけを伝えることができる。彼らはそう言って、背中を押してくれた。
「僕は、そんな特別扱いで、君を弁護したいんじゃない」
願いはただ一つ。もう一度二人で、同じ希望を追いかけること。いや、今度は二人じゃない。みんなで目指すんだ。
「家とか、大総統の考えとか、本当はどうでもいいんだよ。僕が願っているのは、君との未来だけだ。君と一緒にいたいんだ。この五年間、君が何をしていたとしても関係ない。僕が君とこれからを歩みたいんだ」
「ニア……」
この我儘に、幻滅されてもかまわない。これがニアの本心だ。真っ直ぐな我儘のために、この五年を、中央に来てからの十か月を、費やした。それをただ、伝えたい。届けたい。
「僕は自分の我儘を通すためなら何だってするよ。君を必死で弁護して、使えるものは何でも使って、君を取り戻す。だって、僕は君の居場所を、軍につくってしまったんだから。たとえ君に拒否されても、僕らから押しかける。君の居場所は僕らのところにあるんだよ、カスケード。だから、どうか、……もう一度、おかえりって言わせてよ。一緒に、誰かを助けられるような人を目指してよ!」
いつかの願いを、希望を、再び胸に抱けるように。同じものを見られるように。ニアは走り続けてきたのだ。そして、もうすぐ手が届きそうなところまできているのだ。
あとはカスケードが、この手をとってくれるだけ。
「……ニアは昔から、ちょっと強情なところがあったよな。俺を初年兵訓練に引っ張っていった時だってそうだ」
カスケードは、そう言って笑みを見せた。懐かしげに、切なげに。
「軍が嫌いだった俺を、そうやって変えてくれたんだよな。ニアがいたから、俺の世界は変わった。ニアのおかげで、俺は人を助けられるようになりたいと思った。……そして、ニアを救うことができた。キメラから守れた。でも、それから随分待たせてしまったんだな」
長い五年だった。ニアにとっても、カスケードにとっても。その間に道を違えてしまったこともあったけれど、結局はここに戻ってきた。もう、彼は帰ってきているのだ。
「俺は、ニアに全てを託したいと思う。家のことや軍の都合なんてものに縛られるのは不本意だけれど、俺だってニアとまた一緒に歩んでいきたい」
「カスケード、それじゃあ……」
思わず身を乗り出しかけたニアに、しかし、カスケードはそっと手のひらを見せた。ニアの行動を、期待を、制するように。
「ただ、一つだけ。軍人だけが人を助けられるわけじゃない。誰だってできることがあって、その限界もある。失敗や罪もある。ニアにはそれを、忘れないでいてほしい。だから俺がどんな結末を迎えても、どうか、自分の力が及ばなかっただなんて思わないでくれ。……託すって言ったり、何があってもお前のせいじゃないって言ったり、ややこしいけれど」
一言一言を、丁寧に言う。こちらの考えを受け止めてくれた彼の、それが返事だった。たとえ軍人に戻らなくても、ちゃんと歩みは揃えているから。それが自分の気持ちだからと、カスケードは言ってくれている。
ニアもそれを受け止めなくてはならない。自分の我儘に、彼は「託す」と答えてくれたのだから。人を助けられるものは軍人だけではないという意思を曲げずに、それでもニアの思いにかけてくれたのだから。
「わかってる。僕だって、できることとできないこと、限界と突破できる壁を知ってきた。救えなかったものだって、壊してしまったものだって、たくさんある」
壁に道を阻まれたとき、大切なものを守れなかったとき。そんなとき、いつだって心に抱いてきた言葉がある。「もしも、カスケードなら」。――指針はいつだって、親友だった。今にして思えば、心は常にともにあったのだ。離れてなんか、いなかった。
それでももっと近づきたいと思うのは、彼と肩を並べたいと思ったのは、ひとえにカスケードのことを好きだからだ。親友で、憧れの存在でもある、彼の隣にいたかった。
ふと、ビアンカのことを思い出す。こうして考えてみると、彼を繋ぎとめようとしていた彼女の気持ちは、ニアにもわかってしまうのだった。彼女もまた、自分の我儘でカスケードを手に入れようとしていた。ニアに会わせないよう、束縛していた。彼女の気持ちは恋だったが、ニアの気持ちはそれに限りなく近いのかもしれない。恋心ではないけれど、自分もまた、カスケード・インフェリアという存在に強く執着していたのだから。
「じゃあ、ここから先は僕の我儘で進めるよ。軍とか裏とか関係ない。僕がそうしたいからするんだ。君はそれでいいんだね?」
「ああ、任せた。……それにしても、アルの言った通りだな。ニアは俺を受け入れようとしてくれるって、あいつは言ってた」
「アルベルトと随分仲良くなったんだね。妬けるなあ」
そうしているうちに、面会時間の終わりがやってきた。別れ際、透明の壁を挟んで、ニアとカスケードは互いの拳をつき合わせた。こつん、と音がした。この壁を越えることが、次のニアの目的だ。

サクラと歩く道すがら、雪が降ってきた。エルニーニャは暖冬で、中央に雪が積もることはごく稀なのだが、どうやら今年はその稀な年のようだ。子供たちがはしゃいで雪をすくい、固めていた。雪だるまを作ろうとしているらしい。
「お兄ちゃんに任されたんだから、ニアさんにもうひと頑張りしてもらわなくちゃならないわね」
ニアが遊んでいる子供たちを眺めていると、サクラが不意にそう言った。
「そうだね。弁護材料をきちんと確認して、正規の手続きでカスケードが世間に出てこられるようにしなくちゃ」
「あ、私が言ってるのはその前段階。強敵は大総統閣下や世間だけじゃないのよ。……インフェリア家当主様が、今回のことで大層お怒りのご様子なの」
サクラが自分の親をこのように言うということは、相当まずいことになっているのだろう。ニアも、カスケードたちの両親についてまったく知らないわけではない。母親は明るく元気な女性だというが、父親が特に厳しい人なのだと、昔から少しではあるが聞いていた。カスケードは家族に関して多くを語らなかったので、北方でサクラと出会ってから、彼らの人となりを詳細に聞くこととなったのだが、それはすさまじい内容だった。
幼少期のサクラは体が弱く、入退院を繰り返していた状態だったが、父は軍での仕事を娘の容体よりも優先してきた。また、インフェリア家の人間は必ず軍に携わらなければならないという信念を持っていたために、病気が良くなったサクラを早速軍に入れるべく教育し始めた。そのせいで幼くも妹思いだったカスケードと対立することとなったのだという。
カスケードが十三年間、少なくとも記憶を失くす前の八年間は自分の意思で実家に帰らなかったというのは、それが原因だった。
「そうだ、さっきは聞きそびれたんだった。お父さんは何て?」
「家に帰らなかった上に、裏社会に加担するとは何事だって。そんな人間はインフェリア家の者として認めるわけにはいかないって言ってるわ」
「……それは、困ったね。サクラちゃんは親子関係を修復させたいと思ってる?」
「当たり前よ。今日はそのための家族会議だもの。お兄ちゃんは何があったって、私のお兄ちゃんよ。たくさんの人に心配と苦労をかけてきた仕方のないお兄ちゃんだけど、私にはいつだって優しかった。お父さんだって、厳しいし軍にこだわるけれど、それにはちゃんと理由があるのよ。……だから、ニアさん。今夜、時間ある?」
その話からなぜニアの今夜の予定に及ぶのかは、すぐには理解できなかった。だがニアは正直に、「大丈夫だよ」と答えた。実際、これから軍に戻って仕事を片付けてしまえば、少し定時を過ぎるくらいで済むはずだった。
それを聞いたサクラは、兄に似た顔でにんまりと笑って言った。
「じゃあ、今日はお兄ちゃんの代理、よろしくね。迎えに行くから、一緒にうちに来てちょうだい」
「え、僕が?!」
「だって、お兄ちゃんの考えていることを言えるのはニアさんだけだもの。いつも言ってたじゃない。『カスケードならどうするか』って。その考えはいつだって、私の知っているお兄ちゃんと合致していた。さっきお兄ちゃんの話もちゃんと聞いたし、ニアさんになら絶対にできる。お父さんとお兄ちゃんを、仲直りさせてあげて」
カスケードを弁護することなら、ニアにだってできる。大総統にカスケードの考えを伝えることも可能だ。だが、家族の中に入っていくというのはどうなのだろうか。ニアはインフェリア家の人間ではない。カスケードと親友であるというだけの、部外者だ。そんな大役を簡単に引き受けていいのだろうか。
いや、これはサクラからの依頼だった。引き受ける引き受けないの問題ではなく、こなさなければいけないことなのだろう。家族の確執なら、今まで何度も見てきた。解決例が二つ。悲惨な結果に終わったものが一つ。今回は、うまく収めることができるだろうか。
「……わかったよ。今夜、インフェリア家に行く」
「お願いね。……家族が揃うチャンスを、逃したくないの。この十三年、私はずっと悩んできたんだから……」
彼女の切実な思いを、なんとかして叶えてあげたい。だが、それが自分に務まるかどうかという不安は、ニアの胸から消えることはなかった。

その日の夜、予告通りにサクラは迎えに来た。彼女に導かれて、初めて訪れたインフェリア邸は、さすがは建国三英雄の末裔というべき立派な家だった。
「……来る前に、大総統閣下からお父さんの攻略法を教えてもらおうとしたんだけれどね」
大総統ダリアウェイドは、カスケードの父アーサー・インフェリアと同期だった。しかも、その関係は深い信頼によって結ばれている。彼ならこの場をどうやって切り抜けるかを知っているかと思ったのだが、その考えは甘かった。
「アーサーの考えていることは私もたまによくわからないからな、だってさ。アドバイスは『気圧されないように気をつけろ』の一言だった」
「ダリアウェイドさんらしい答えね。大丈夫。お父さんさえ乗り越えたら、あとはもう何も怖くなくなるから」
いったいどれほど厳しい人なのだろう。ニアは緊張をなんとか抑えて、インフェリア邸の玄関に立った。
「ただいま。お客様、連れてきたわ」
サクラが戸を開けると、その向こうもシンプルだが高価なのが一目でわかる家具に彩られていた。仕事上、このような家に来ることは珍しくはないが、ここが親友が幼少期を過ごした場所であり、かつこれからその親友の代わりをしなければならないと思うと、目がかすむようだった。実際、ここまで来るのに眼鏡と薬を使っている。
「いらっしゃい。カスケードとサクラの母、ガーネットと申します」
奥から、金髪の美しい女性が出てきた。二十を過ぎた子供がいるというのに、若々しい。ニアはどぎまぎしつつ、挨拶をした。
「初めまして。ニア・ジューンリーと申します」
「サクラから話は聞いていますよ。とても聡明な方だって。これまでカスケードを捜してくれて、本当にありがとう。あの子を生きて帰してくれただけで、私はとても嬉しいわ」
彼女に勧められて、ニアはインフェリア家へと足を踏み入れた。綺麗な家だが、ふと柱を見ると、何本もの傷がつけられているのがわかる。その横には、名前と年齢らしき数字。おそらくは、カスケードとサクラの成長の記録なのだろう。カスケード十歳、サクラ七歳で止まっていたが。
微笑ましく思いながらリビングに通されると、途端に空気が変わった。そこにはカスケードによく似た、しかし雰囲気は全く異なる人物が待っていた。つかの間の安息は吹き飛び、ニアは息を呑む。だが、まずはこの一言だ。
「初めまして、アーサー・インフェリアさん。ご子息の友人をさせてもらっています、ニア・ジューンリーと申します」
「……私に息子などいない」
ニアが挨拶をした途端、この返事だった。すでに我が子との縁を切る気のようだ。ずきり、と胸が痛む。目がぼやけるが、それに耐える。ここで押し負けてはいけない。
「お父さん、今日の家族会議はニアさんにも出席してもらうわ。お兄ちゃんが出られないから、その代わりをしてくれるの。私たちが知らなかったお兄ちゃんの十三年間を、彼なら語れる」
「この五年はともかく、十八までの話ならアレクから聞いて知っている。今更語ってもらう必要などない」
アレクとは、大総統アレックス・ダリアウェイドの愛称だろう。彼は大総統のことは本当に信頼しているらしい。だが、それが全てだとは限らない。ニアしか知らないカスケードの一面だってある。そう思ってきたのだが、アーサーは完全にニアを「部外者」として見ていた。
「サクラ、今日は家族の会議だ。勝手に他人を連れ込むな」
「他人なんかじゃないわ。お兄ちゃんが家を離れていた間、お兄ちゃんに一番近かった人よ」
このままではサクラと父の間にも亀裂が入りかねない。ニアがどう取り繕ったものかと悩んでいると、ガーネットが間に入るようにして茶器を持ってきた。
「はいはい、そこまで。せっかく来てくださったんだから、お茶にしましょう。ニアさん、紅茶はお好き?」
「あ、はい。大好きです」
「そう、良かった。サクラ、ニアさんを座らせて差し上げなさい。家族会議なんて久しぶりだから、楽しみにしてたのよ」
子供たちが幼い頃から、この家族にはそんな時間があったらしい。大切な話をしながらお茶を飲むことを、この家では「家族会議」と呼ぶのだろう。ニアはガーネットの言葉に甘えることにして、ひとまずサクラに勧められた席に座った。彼女がこそりと教えてくれたことによると、ここがかつてのカスケードの定位置らしかった。
「さあ、アーサー。家族会議を始めましょう。まずはカスケードが生きて帰ってきたことをお祝いしなくちゃ」
「ここにいないものをどうやって祝うんだ。それに、帰ってきたところで迎えるつもりはない。インフェリア家から犯罪者が出たなんて知れたら、大事だ」
「お父さん!」
眉を寄せたまま、アーサーは紅茶を啜った。顔はカスケードによく似ているのに、この表情はなかなか見られるものではない。加えて、年も取っている。将来、カスケードはこのようになるのだろうか。紅茶の香りがあまりに良かったので、ニアは一瞬、そんなのんきなことを考えてしまった。
「だいたい、十三年も家に帰ってこなかった者を今更迎えるというのがおかしな話だ。奴ももう、ここに帰ってくる気はないだろう。私の顔を見るのも嫌なのではないか?」
緊張がほぐれたせいだろうか。それとも、アーサーがカスケードに似ているせいだろうか。ニアは最初よりも随分落ち着いて、そこにいることができていた。いや、たぶん、そういうことではない。この家にはたしかに、カスケードへの愛情が残っている。それをここに来て、確信できたからだ。
「おかしくなんか、ないですよ」
その言葉は自然に出た。サクラとガーネットが、ニアに注目する。アーサーはこちらを見てはいないが、紅茶のカップを持っていた手をぴたりと止めた。
ニアは率直に、考えていたことを述べた。
「カスケードがこの家を出たとき、まだ十歳だったはずですよね。先ほど、僕は身長を測った柱の傷を見ました。そしてこの席、カスケードの定位置だったそうですね。それを考えると、当時の彼には、このいすは大きすぎるし、新しいようにも思えます。このいすは、彼が帰ってくる日を待って、新調していたのではないですか?」
「まあ、すごい! サクラの言っていた通り、頭の良い方なのね」
ガーネットの反応を見るかぎり、この推理はあたりだ。ニアはにこりと笑って、先を続けた。
「アーサーさん、カスケードが帰ってくるのは、おかしなことじゃないです。だって、こうして彼がいつ帰ってきてもいいように、準備がしてあるじゃないですか。大総統閣下に、こまめに彼の様子を確認しながら。きっとこのことを知ったら、喜んで帰ってきますよ」
「帰ってきたところで、もう迎える気はない。あれでは軍にも戻れんだろう。アレクは奴を戻したがっているが、もう無理だ。私が許さん。軍人でないなら、この家の名を持つ資格などない」
しかし、アーサーはニアの言葉を切り捨てる。だが、応えてはいる。こんなとき、カスケードなら、おそらくは父の言葉をそのまま受け入れて勘当されてしまうのだろう。そして二度とインフェリアを名乗らず、軍からも、もしかすると首都、あるいは国からすら去ってしまうかもしれない。それは容易に想像できることだった。
だが、ニアがつくってきた場所のように、この家も彼にとって居場所の一つでなくてはならない。ここには彼を生んだ母がいて、彼が愛しんだ妹がいて、彼を育てた父がいるのだから。ニアが喪ってしまった全てが、あるのだから。
「……ごめん、サクラちゃん。やっぱり僕は、カスケードの代わりなんかできない」
「え?」
ニアはがたり、と席をたった。サクラがあわてるが、それを笑顔で制する。ここから立ち去るわけではない。ニアは、ニアでしかない。ニア・ジューンリーとして、アーサー・インフェリアに真っ向から語りかける。それしかできないのだ。
「軍人でなければこの家の人間を名乗れない? そんなことはないはずです。インフェリアがどうしても軍家でなければいけない理由は何ですか?」
真剣な目で、アーサーを見つめ、問う。
「……インフェリア家の人間たるもの、自分の身は自分で守れなければならない。軍家として、常に潰されてしまう可能性にさらされている以上は、軍人であり続ける必要がある。だが、カスケードはすでに潰されてしまった」
「まだですよ。まだ彼は潰れてなんかいません」
歴史の上で、自分の身を守りきれなかった御三家の一つは表舞台から消えてしまった。もしもそのことを懸念しているのであれば、その問題を解決する方法を、ニアは持っている。自分だけで守りきれなければ、誰かの助けを借りればいい。頼れる仲間がいればいい。それはニアがもう、用意した。カスケードを支えるための大きな力を、ニアはここまで育て、集め、繋げてきた。
「僕が潰させません。彼が軍に戻るのをあなたが許さなかったとしても、僕が彼を預かります。僕が彼を一生をかけて守り抜きますので、絶対に潰れません。彼はインフェリアであり続けることもできますし、僕が預かるんですから、また軍に戻ることだって選択できます。それは彼の自由だ。彼が自由でいられるように、僕が彼の傍にいます!」
繋げなくてはいけないのは、もう一つ。この家族だ。カスケードが見ないふりをしてきてしまった、そしてその父も息子と向き合うことを避け続けてきてしまった、悲しい家族。それをニアの手で今、繋げようとしている。
その思いが、アーサーに伝わればいい。きっと伝わるはずだ。なにしろ彼は、カスケードの父なのだから。
「……アレクからは、君の話も聞いていた」
海色の瞳――さっきまでまるで荒波のような眼だったのだが、今は凪いでいた――が、ニアを見る。やっと、こちらを見てくれた。
「カスケードの弁護をすると言ったそうだな。だが、裏社会で罪を重ねてきた人間を、どう弁護する? 記憶がなかったから操られたと? 記憶が戻った今では、そんな証明はできやしない。奴にとって不利な情報ばかりなのに、それでも守るというのか。それでも奴を潰さずに済ませるというのか」
「はい。それがカスケードに命を救われた僕にできる、恩返しだと勝手に思っています。あなたの、カスケードへの愛情を伝えることも含めて」
軍家がどれだけの重圧を抱えているのか、ニアにはわからない。だが、世間体のためだけでなく、その重圧に耐えうる人間に育てるために、アーサーは我が子を軍にいれたのではないかと、ニアは思うのだ。帰ってこない息子のために家具を新調し、彼が好きな紅茶を淹れるこの家の人々に、愛情がないわけがない。
その愛を繋ぎとめ、これからも紡いでいくために、ニアはカスケードを守ることを改めて決意した。彼が犯した罪を償いたいというのなら、そうさせるつもりだ。だが、その一方で家族が安心し、ニアが自分の我儘を通せるような案を採用するつもりだ。ニアがするのは、そのための弁護だ。
「僕はやりますよ。絶対にやり遂げます。カスケードを、解放します。僕らのために」
宣言したニアを、アーサーの海色の瞳が見つめていた。それがやがて細くなり、カスケードによく似た、笑顔になった。
「君のような友人がいたのに、あいつはなぜ記憶喪失になんかなったんだろうな」
「僕がいたから、記憶喪失になったんですよ。僕を守ってくれたから、こうなったんです。彼は、僕より先に、人を助ける軍人になったんです」
だから、次は自分の番なのだ。ニアがそう言うと、アーサーは深く頷いた。
「では、見届けようじゃないか。君の我儘がどれだけ通用するか。……愚息を、よろしく頼む」


本人から、そしてその家族から託されたものを、ニアは確実に繋げなければならない。任されたのだから、何があっても彼を守らなければならない。
そのための準備ならできている。あとは彼の処遇を決めるだけ。
「閣下。カスケードと、そのご家族と話をしてきました。彼らは全て僕に託してくれるということです」
「ふむ。やはりそうなったか」
こうなることはわかっていたというように、大総統は笑みを浮かべた。結局のところ、インフェリア一家を一番わかっているのはこの人なのかもしれないと、ニアは苦笑した。
「それで、君はどうするつもりなのかね」
「僕は閣下の、彼を軍で管理するという意見に疑問を持っています。それは今も変わりません。彼の自由を奪うのではという懸念は消えていません。ですが、僕らが彼の身柄を守るのだという考えには賛成です。そのために作った班ですから」
カスケード自身の希望がニアに託された今、軍内の反対を押し切って彼を軍に呼び戻すということも可能だ。「カスケード・インフェリアはこれまで裏組織の人質となっていた」という扱いにすれば、彼のこれまでの行動に対する処罰も軽減することができる。「軍の監視下に置く」ことを処罰の内容とすることができれば、彼を再び軍人とすることは可能だ。――要するに、それは。
「では、私の意向通りになるな。カスケード・インフェリアは軍の監視下に置く。もちろん隙があってはならないから、君たちジューンリー班に常に見張ってもらうことになる。しばらく自由の身になどさせんぞ。裏社会の動向に加担し、我が軍の精鋭たちを負傷させた。その罪はけっして軽いものではないのだからな」
大総統の思惑通りに、うまく丸め込まれたような気がしなくもない。だが、ニアは苦笑しながら、彼の言葉に頷いた。
カスケードに自由になってもらいたかった。だが、それは結果がどうなるにせよ、彼が裏社会に渡ってしまった時点で叶わぬことだったのだ。きっと彼は罪悪感を背負いながら、緩慢な束縛の中で生きることになる。彼のしてしまったことは、一生彼を苛むことになる。それはもう、変えられないさだめとなってしまった。
「ところで閣下。アーサー・インフェリア氏と頻繁に連絡をとっていたようですね。あなたたちも本当に仲がよろしいようで」
「アーサーとは親友だからな。ちょうど君とカスケード君のような関係だよ。アーサーはああ見えて天然ボケを連発するような奴で、たいていは私が彼を引っ張っていた。いうなれば私が君で、奴がカスケード君だ」
本当に、よく似た親子だ。そして、よく似た親友同士だ。ニアはやっと、心から笑うことができた。

ニアが大総統室にいる間、事務室では通常業務が進行していた。しかし、交わされる言葉には私語が大いに含まれている。
大総統の考えは、昨日のうちに親しい者には知らされていた。それを聞いて、胸にもやもやしたものを抱えていた者もいる。
「大総統閣下は、ニアさんが捕まったときは、将官たちの反対があるから協力できないって言ってたのに。どうしてカスケードさんは何をしてでも軍に戻そうとするんでしょうか」
カイが不満げに呟く。誰もが思っていて、けれどもニアの前では言えなかったことだ。それに対してアーレイドも頷く。
「建国御三家ってやつだからかな。オレもその贔屓っぽい対応には納得いきません」
「なんだ、お前らも思ってたのか。……まあ、俺も贔屓された側の人間らしいから堂々と文句は言えねぇけどよ」
ノーザリアのフィリシクラム大将という後ろ盾があったうえでエルニーニャにやってきたディアには、このことは思っていても口にできなかったらしい。だから真っ先に騒がなかったのかと、一部は改めて思っていた。
「ニアさんはあくまで一般の軍人ですからね。しかも身内がいないから、万が一のときに切り捨てても、軍という集団のダメージは少ない。それに引き換え、カスケードさんはいわば要人です。建国三英雄の一家から犯罪者が出たとなれば、国の根幹を揺るがす恐れもありますから。囚われてしまっていたものを軍で救い、引き取ったというシナリオにしたほうが、中央軍の株は上がります。現在の軍政にとって、どれだけメリットがあるかを考えると、やはり大総統閣下の動きは認めざるを得ません」
にべもなく言ってのけるクリスに、ニアと同じく身内のいないメンバーは眉を顰めたり、舌打ちをしたりする。だがそれをわかったうえで、クリスはさらに続けた。
「だからこそ、次の大総統はこれとは違う考え方を持った人間が必要なんですよ。おそらく閣下は、その人物に入隊時から目をつけていたのでしょう。それが記憶を失って行方不明になるなんていう予想外の事態が起こったので、彼に近しい者が相応の力を持って動けるようになるまで待ち、今回の解決へ導かせた。全ては閣下の手のひらの上、ハプニングは多少ありましたが、ほぼ台本通りに進んでいるのでしょうね。……ボクはそう思うのですが、メリテェアさんはいかがですか?」
ちょうどジューンリー班の様子を見に来ていたメリテェアに振り返り、答えを求める。だが、彼女は曖昧に笑って返した。
「さあ? 閣下のお考えは、わたくしにも測りかねますわ。所詮はわたくしも、閣下の手のひらの上の人間です。ニアさんが動きやすいように配置された駒の一つにすぎませんから」
しかし、一呼吸おいて、彼女は言った。
「でも、ニアさんはわたくしたちを駒だなんて思ってはいませんわ。閣下も恨まれることを承知で動いている部分がありますし、そう責めては可哀想です。だからわたくしたちは、自分にできることを精一杯やるだけではなくて?」
大総統に怒っていても仕方がない。全てはすでに動き出しているのだから。文句を言っていた面々も、そのことは認めるしかなかった。
「そういうことだ。今はとにかく、手を動かせ。カイ、自分の書類は終わったのか? アーレイドは、そろそろ新兵訓練指導に行く時間だろう。ディアさんは始末書を早く書いてしまわないと、またアクトさんに叱られますよ」
自分も苦手なデスクワークに就きながら、すらすらと指示をするグレンに、一同は上司の姿を見た。
「……グレンちゃん、ニアに影響されてねぇ?」
「半年一緒にいれば影響も受けますよ」

ようやく情報処理室が解放され、クレインは本来の自分の仕事に戻っていた。情報処理担当の仕事が詰まっていたので、クライス、さらにはアクトとハルまでも手伝いに入っている。もともと機械の扱いは得意ではないハルに、アクトが懇切丁寧に作業を教えている様子を見て、クレインがぽつりと言った。
「……お母さんと娘?」
「せめて父子にしない?」
本来ならば、ハルには別の仕事があった。アーレイドと一緒に新兵訓練に行っても良かったし、いつものように書類整理をしていてもかまわなかったのだ。だが、あえて仕事の溜まっている、しかも苦手な部署の手伝いを希望したのは、もちろん邪魔をしたいわけではない。
いつか自分の夢を叶えるため、経験を積んでおきたかったのだ。
「いろんな情報仕入れておかないと、大総統への道は厳しいからな」
クライスがそう言って笑う。ハルもそれに笑顔で応えた。
「ボク、頑張ります。ボクやニアさんみたいに、冤罪で苦しむ人が出ないようにしたいから」
「そうしてくれるとありがたいわ。私も一時は疑われかけたことだし、しっかりとした捜査の基準を作ってほしいわね」
「ハルが夢を叶えられるのは、いつだろうな。期待してるよ」
夢ができて、それに向かってひた走る、未来を背負う少年。その背中を、佐官組はそっと押してやる。彼がその夢を叶えるころには、自分たちは今とは違う道を選んでいて、この場所にはいないかもしれないから。
いや、彼が異例の早さで昇進してくれれば、もしかすると間に合うかもしれないけれど。
「ハルが大総統になったら、ニアさんなんかは感慨深いだろうね。自分に憧れて軍に入ってくれた子が、国の頂点に立つんだから」
「その前にニアさんが頂点に立ったりして。閣下から信頼されてるし」
「いや、オレはあの人は表に立つようなタイプじゃないと思う。トップになったら毎日眼鏡と薬が手放せなくなりそうだ。補佐としてならかなり有能そうだけど」
未来のことを語りながら、目の前に表示されていく仕事をこなしていく。この積み重ねが、いつかの明るい世界へ繋がるのだろうか。そうだといい。そうあってほしい。
ところで情報処理担当の得といえば、誰よりも早く人事関係の情報までもを知ることができるという点にある。しばらく作業を進めていくうちに、クレインの使っているコンピュータのディスプレイに、一件の新着情報が表示された。
「アクトさん、これ見てくれます? ……どうやら、ジューンリー班は面白いことになりそうですよ」
「うわ、対応早いな。ハル、やっぱり大総統ってこれくらい決断が早くないとだめらしい」
「だ、大丈夫かな、これ……」
この決定には、反発も出てくるだろう。ジューンリー班は初期の頃のように、変わり者の集まりと揶揄されるようになるかもしれない。だが、そんなことも乗り越えられないようでは、この先やっていけないだろう。この班は、そのために作られたものなのだから。

外部情報取扱係室の今日の手伝い要員は、シェリアとシィレーネだ。ようやく「先日の騒ぎは何だったのか」という問い合わせが落ち着いてきて、何件かまともな依頼や相談が入ってくるようになった。
「……はい、それではそのように、上に説明させていただきますね。ご依頼が通りましたら、こちらから再度ご連絡差し上げます」
どうやら、依頼型任務が入ってきたらしい。これが正式に任務となるかどうかは、上官との相談で決まるのだが、内容からして下級兵に任されることになるだろう。そうして任務をこなして、エルニーニャ軍人は一人前になっていく。
「シィレーネちゃん、これメリテェアのところに持って行ってくれるか? たぶん君の仕事になる」
「え、私のですか?」
「ああ、たしかに伍長向きだね。昇進試験にはぴったりの内容」
「しょ、昇進?!」
シィレーネも、そろそろ一人前を目指す時が来たようだ。先日の件で「カスケード・インフェリアを説得した」ということになっている彼女は、急に軍で一目置かれる存在になっていた。それまでは、邪険にされたこともあったというのに。
「と、とにかく書類、持って行きますね! いってきます!」
「転ぶなよー。……ところでさ、ツキ曹長。アタシいろいろあって、まだシィの青い王子様に会ったことないんだけど。どんな人?」
部屋を出ていくシィレーネを見送ってから、シェリアはずっと興味を持っていたことについて、ツキに尋ねた。写真は見たことがあるのだが、本当に「青い」という感想しか出てこなくて、人柄を掴めずにいたのだ。ニアの説明では、とてもいい人だそうだが。
「俺もちゃんとはわからないけれど、王子様っていうよりは将軍? とにかく強いんだよな。あれだけの力を持ってて、まだ裏にいたらと思うと、今でも鳥肌が立つ」
「そんなに強いの? ……でも、ま、シィを助けてくれたんだから、きっと優しい人だよね。あの子を泣かすようなヤツだったら蹴り飛ばす」
「シェリアとシィレーネちゃんも、良い親友同士だよな。俺もたまに、学生時代の友だちと遊びに行くかなー……」
などと会話をしているうちに、電話は再び鳴り響く。
「こちらエルニーニャ王国軍中央司令部です……」
その音が、軍に事件を運んでくる。

ブラックは軍病院に毎日足を運んでいる。今日はそれに、リアとラディアもついてきた。アルベルトの手にラディアの治癒が効くかどうかを試すためだ。
「おーい、起きてるか?」
「こんにちは、アルベルトさん」
「起きてる……って、マクラミーさん?! え、なんで、あの、」
「いつも通り挙動不審ですね。私もいますよー」
病室に入った途端に、この調子だ。アルベルトは元気だと思っていいだろう。おかげでブラックの抱える罪悪感は、深く根付いてはいるものの、重くて動けないほどのものにはならなかった。
そうでなければ、ここにリアたちを連れてきたりはしない。自分一人で通っては、しでかしてしまったことに悩んでいたことだろう。
「縫合痕はなんとかできると思いますけど、神経までは私の力が及ばないかもしれません」
「気にしないでください、ローズさん。僕のは自業自得ですから」
そもそも、中央に来なければこんな事態になるどころか、今も一人で父を追っていたかもしれない。犠牲者を増やしながら。現状は最善とはいえないが、「もしも」をいうときりがない。だから、これからのことを考える。
「リハビリ、大変そうですね。私にできることがあったら協力しますから、何でも言ってくださいね、アルベルトさん」
そう言って微笑む、リアのように。
「あ、ありがとうございます。マクラミーさん」
「リアです。私の名前はリア。マクラミーじゃ、私の家族と区別がつかないじゃないですか」
「あ、そうですね。……ええと、リア、さん……」
しかし、好きな女の子にあからさまに照れている兄を見ていると、これからは少し兄から離れてもいい気がする。彼女の助けがあれば十分じゃないか、などと思ってしまう。
「デレデレしやがって」
「ホントですね。リアさんとられないようにしなくちゃ」
「?!」
……いや、まだ知らないこともたくさんある。他人のことも、自分のことも。もう少し、兄と自分とを取り巻く環境の中で、過ごしてみよう。もっと何か見えるものがあるかもしれない。そうして迎える未来は、どんな色をしているのだろう。
何物にも染まらない黒は、どんな風に輝くのだろう。

その日の夕方、ニアは留置所にいた。カスケードとの面会と、もう一つ、重要な案件を目的として。先にその件について、モンテスキューから事情を聞くことになっていた。
「マカ・ブラディアナが逃げ出したって、どういうことなんですか?」
挨拶もそこそこに、ニアは本題に入った。モンテスキューは心底申し訳なさそうに頭を下げ、応えた。
「職員の一人が、買収されたようです。彼女の行方はわかっていません。本当にすみませんでした」
マカ・ブラディアナが拘置所から逃走した。その報せが入ったのは、ニアがカスケードに会いに行こうとした、ちょうどその時だった。外部情報取扱係に、モンテスキューから連絡が入ったのだ。
逃走を手伝った職員は拘束してある。――彼はいつかハルを侮辱し、ニアを嘲笑した、あの職員だった。マカに買収されて、彼女がここから抜け出す手筈を整えたらしい。現在、彼女の情報を持っているジューンリー班を中心に、捜索が進められている。
ニアはカスケードのところへ行くようにと、クリスに言われてここに来た。
「現在、裏組織の本拠地だった場所を中心に、マカを捜しています。カスケードにも、心当たりを訊いてみたいんですが」
「はい。すぐに面会室に呼びましょう」
本来ならば、カスケードへの事情聴取と、今後の動きについて細かに説明をするはずだった。だが、想定外の出来事のおかげで、今日は詳しい話ができそうにない。
「カスケード、マカがいなくなった。彼女が行きそうな場所、どこか知らない?」
面会室にやってきたカスケードに、ニアは開口一番そう尋ねた。焦っていて、重要なことを忘れていた。
「いや、わからない。そもそも俺だって、マカ・ブラディアナについては何も知らなかったんだ。“あの方”とはスピーカーを通じて話すだけだったからな」
そう、カスケードは“あの方”がマカ・ブラディアナであると、軍を襲撃したときに初めて知ったのだ。“あの方”は自分のことを一切語らずに、カスケードたちを操ってきた。手掛かりはここにはなかった。
「……そうだったね。ごめん、急ぎすぎたよ」
「ただ、ヒントになりそうなことならある。あのマカは、記憶保持クローンだったんだよな?」
俯きかけたニアだったが、カスケードの言葉に顔をあげる。マカ・ブラディアナの行方についてはわからないが、クローンの秘密ならば、知っている。彼は裏組織で、クローンをつくっている人間と話をしているのだから。
「記憶保持クローンっていうのは、オレガノさんによると、延命措置が必要らしい。栄養が脳に偏る分、肉体が崩れないように、定期的に培養液なんかに浸けて、保護しなくちゃならないんだそうだ」
「定期的にって、周期はどのくらい?」
「詳しくはわからないが、あまり日をあけてはいけないって聞いたな。日数が経つと、人間のかたちを保てなくなるらしい」
マカを拘束してから、すでに三日。彼女が最後の力を振り絞って逃げ出したのだとしたら、それほど遠くまでは行けないはずだ。だが。
――私は不老不死よ。この身が滅んでも、私の記憶を受け継いだクローンが目的を果たしてくれる。
言葉の通りなら、どこかに彼女の代わりがいる。彼女はそれを起動しに行ったのではないだろうか。それはいったい、どこにあるのだろうか。
「……崩れてしまうなら、捕まえても意味がないんだろうか。いや、組織が使っていた施設を利用すれば彼女を生かせる……」
「一度崩れてしまったものは、戻せない。三日なら、そろそろ限界かもしれない。……もう間に合わないよ、ニア」
他でもない、裏組織にいた人間が言うのだ。これ以上彼女を捜しても、何も出てこないのだろう。彼女の記憶を受け継いだクローンの居場所を探し、保護することに切り替えた方が、いいのかもしれない。
「……彼女はいつかまた、君を狙うかもしれない」
「そうだな」
「僕は、そうさせたくない。だから彼女の捜索は続ける。……間に合わなくても、彼女に次がある以上は、追い続ける」
また一つ、ニアに軍人を続ける理由ができてしまった。まだ当分、引退なんかできそうにない。いつか、ほんの少しだけ考えた。カスケードが見つかったら、軍を辞めようかと。親友の保護を最後の仕事にしようかと。けれども、それを決めるのはまだ遠い未来のようだ。
「追い続けるには、君の力が必要だ、カスケード。……君の処遇が決まったんだよ。事情聴取を終えたと僕が判断した時点で、君には軍に戻ってもらう。カスケード・インフェリア大尉として、僕の班に所属してもらう」
カスケードの目が見開かれる。それから彼は、ニアに向かって、不敵に笑ってみせた。
「また、一緒に事件を追うんだな。ニアがそう決めたのなら、そうしよう。どうせ監視とかも含んでそういう決定になったんだろ?」
「まさにその通り。君は常に僕の監視下に置かれることとなる。僕の命令は絶対だからね、カスケード」
裏組織による中央司令部襲撃の首謀者、マカ・ブラディアナが逃走。軍では彼女の行方を引き続き追う。担当するのは、ニア・ジューンリー大佐と、この件に関わり、軍に再び戻ることとなったカスケード・インフェリア大尉。五年前の春に一度解散した、ゴールデンコンビの復活宣言だった。

それから一夜明け、ニアは朝からカスケードの事情聴取に入った。マカの捜索も同時に進めてもらっているが、まずは早くカスケードを軍に戻すよう、大総統から命が下ったのだった。
聴取の合間に、休憩がてら雑談を挟んでいた。五年分の「積もる話」から「最近の出来事」まで、ネタには困らなかった。
「昨日はニアが急いでたから言えなかったけど、親に会った」
カスケードは昨日、ニアが訪れるより前に、両親と面会していた。サクラも一緒だったので、思っていたよりは話しやすかったという。
「全部ニアに任せたって、父さんが言ってた。だから俺は安心してニアの命令に従える」
「お父さんに認められて良かったよ。僕はそれが一番不安だったんだ……」
「いや、父さんはニアのことをかなり気に入ってるようだった。だから安心しろ。……ありがとうな、俺と親の関係まで世話してくれて」
どうやら、インフェリア家の問題は解決したようだ。カスケードと父も、これからは多少衝突しても、絶縁なんてことにはならないだろう。ニアには嬉しい報せだった。
「サクラちゃん、今日北方に帰っちゃうんだよね。見送りに行けないのが残念だけど」
「サクラとのことも感謝しなくちゃな。あいつ、びっくりするほどしっかり育ってたなあ……」
「初めて会ったとき、カスケードとは大違いだなって思ったよ」
「酷いな、ニア……お前も、五年前より随分強引になったんじゃないか? 昨日なんか『僕の命令は絶対』なんて言いだすし」
「カスケードを追ってるうちに、僕もいろいろあったからね。昔よりかなり我儘で横暴になったから、覚悟してね?」
何気ないやり取りと、真面目な話を繰り返す。空白を埋めるように、真剣に考えては、唐突に笑い、しんみりもして。そうしていくうちに、五年の別れなど気にならなくなる。ニアとカスケードは、ずっと親友であり続けてきたのだ。そしてこれからも。
そうして調書が埋まった頃、ニアは「これで終わり」と言った。聴取は完了したのだ。だが、カスケードは首を横に振って、「これが始まり」と返した。

* * *

翌週、彼は新しい軍服を着て、中央司令部に帰ってきた。
「大尉のカスケード・インフェリアです。本日からこちらでお世話になります」
背の高い彼がきちんと挨拶をすると、本当に立派に見えた。これなら僕と同じ、大佐を名乗っても違和感がないだろう。
伸びすぎていた髪も、リアちゃんの協力を得て、切り揃えてもらった。男の僕から見ても、彼はかっこよかった。
けれどもそれも数秒のこと。
「でも、寮へ荷物運んだりとか手伝ってもらったから、改めてお世話になりますっていうのも変な感じだな」
彼はすぐに、ふにゃりと笑って、周囲を和ませた。僕はきりりとしてかっこいい彼も好きだけれど、どちらかといえば、この人好きのする笑い方が気に入っている。昔と変わらないな、ということを実感できるからかもしれない。
彼が帰ってきたから、僕はもう彼の真似をして自分を慰めるようなことをしなくてよくなった。回りくどい言い方だけれど、つまりは僕も、髪を切った。カスケードのように少しだけ切り揃える程度ではなく、ばっさりと。リアちゃんが名残惜し気にしていたけれど、僕は本来の自分に戻れたようで、体も心も軽くなった。
そうすると、不思議と目の状態も良くなってきた。今日から、一日眼鏡をかけずに過ごせる日も増えるかもしれない。薬はだんだん効果を弱めて、減らしていくことになった。
僕が自分の体と心を回復させていくのと、カスケードが場に慣れるのとでは、どちらが早いだろう。
「ジューンリー大佐、俺は何をすればいい?」
「いつも通り、ニアでいいよ、カスケード。そうだな、しばらくブランクがあるし、グレンの仕事を手伝ってくれる? 大尉同士仲良くね」
「わかった。おーい、グレン! 俺にも仕事くれ!」
「え?! あ、はい、どうぞ……」
きっと、カスケードが慣れるほうが、ずっと早いだろう。彼はもともと、人に好かれやすいから。そういう魅力を持っている人だから、僕も彼に惹かれたのだ。
「なんか子供みたいだね、カスケードさん。おれたちと闘ったあの強さは、いったいどこからきたものなんだか」
僕のところに書類を取りに来たアクトが、少し呆れた調子で言った。否定はしない。
「十八歳で成長が止まってるみたいなものだと思って。ビアンカちゃんがかなり甘やかしてたみたいなんだ。これから教育し直さないと」
「うわ、ニアさんの教育って、絶対厳しいじゃないですか」
「カイ、僕はみんなに平等に厳しいよ? はい、君の分」
「お前、ニアに余計なこと言うと書類まみれにされるぞ」
「うるさい、まっくろくろすけ。お前だって書類まみれだろうが」
僕たちがつくりあげたこの場所に、カスケードは初めからいたみたいに溶け込むんだろう。だって、ほら、もう自然に話をしている。
「カスケードさん、この書類はこことここを重点的にチェックしてください」
「ん、サンキュ。グレンは教え方が丁寧だな」
大尉組はどうやらうまくやっていけそうだ。僕は安心して、自分の仕事に取り掛かることにした。カスケードの件が片付くと、僕らの仕事は随分と減ったように思う。その分、マカの捜索と、少しばかり特殊な事件にかかるようになった。今は主に裏社会の件に特化した班として、関係する案件を引き受けている。
「ニアさん、よろしいでしょうか。先日の報告書が戻ってきてしまいましたわ」
「先日? ……ああ、危険薬物取締の。ディア、もっと丁寧に書き直せって来てるよ」
「げ、またかよ……俺、始末書溜まってんだけど」
ディアの始末書件数は全く減っていないので、お詫び行脚はいつも通りだ。それを聞いたカスケードは、笑い転げていた。
「え、また何か壊したのか、不良?」
「うるせぇ、不良って言うな! お前は気安すぎだろ、カスケード! 俺は一応お前の上司なんだからな!」
「はい、仕事してね、二人とも」
それにしても、馴染むのが早い。僕がそれなりに苦労して集めた人員と、カスケードは一瞬にして打ち解けていく。これも才能なんだろうか。
「カスケードさんがいると、ニアさんは嬉しそうだね」
僕はその才能を羨むでもなく、カスケードと仲良くしている他の人に嫉妬することもなく、彼らの交流を嬉しそうに眺めているように見えるらしい。少なくとも、ハルからは。
「そうだね、嬉しいよ。嬉しいけど、騒がしいかな。ちょっと叱らないとまずいね」
「ニアさんが怒るなら、オレとハルは外出てますね。ちょうどクレインに頼まれてたものがあったので」
「アーレイドさん、その必要はないわ。私、来たから」
逃げようとしたアーレイドが、当のクレインちゃんに捕まっている。僕、そんなに怒ると怖いかな。それはともかく、とにかく騒がしい人たちを叱らなくちゃいけないなと思っていると、クライスとツキが次々に事務室にやってきた。
「依頼任務、ジューンリー班指名で来てるって。オレが潜入捜査してきたやつなんだけど」
「外部情報来たぞ。ニア、今大丈夫か?」
どうやら、叱る時間もないらしい。今日も忙しくなるな。カスケードの就任一日目だっていうのに。……思えば、自分が退院してから休んでないな、僕。
しいていうなら、カスケードが寮に来た日に、お祝いと称してあのアイスクリーム屋に行ったくらいだろうか。彼と食べるアイスクリームは、やはり格別だった。今度はハルとも約束したように、みんなで行きたい。
「はい、仕事ちょうだい。……これは佐官で対応しようか。クリス、リーダー頼める?」
「いいですよ。人員はボクの裁量で構いませんか?」
「うん。現場に詳しいからクライスを連れて行くといいよ。ツキ、外部情報って何?」
「マカ・ブラディアナっぽい目撃証言だ。信憑性は薄そうだけど、一応な」
「これは僕のだね。カスケード、僕らの仕事第一号だよ!」
さて、僕はともかく、この忙しさにカスケードがついてこられるだろうか。いや、ついてきてもらわないと困る。だって、これでも一時期よりは随分ましなんだから。
「俺たちの仕事って?」
「マカを目撃したかもだって。この人から話を聞いてこよう。ツキ、この人と連絡とってくれるかな」
「了解。アポ取れたらまた来る」
ツキの報告を待って、目撃者から話を聞きに行くついでにアルベルトのお見舞いにでも行ってみようか。それから、まだやらなくちゃいけないことが……。
「ニアさん、これ終わりました。確認お願いします」
「リアちゃん、ありがとう。……うん、大丈夫だね。ラディアちゃん、ファイリングお願い」
「はーい!」
こんな調子だけど、カスケードは大丈夫だろうか。……大丈夫そうだね。仕事にわくわくしているようだし。これなら僕の班員として合格だ。

「目撃証言はあまり有効ではなさそうですね。マカは死亡した可能性もあるんですよね?」
目撃証言は、別の誰かを見間違えた可能性が高かった。僕とカスケードは証言者と会った後、軍病院にいるアルベルトに会いに行った。彼は事務方でも十分にやっていけそうだった。聞いた状況から、考えを巡らせている。これなら手が回復してから、軍に戻ってこられるだろう。本人もそれを希望しているようだ。
「カスケードの話だと、長期間は肉体を保てないって」
「一週間以上はさすがに無理だろうな。どこかに潜んででもいない限りは」
司令部襲撃事件後、アーシャルコーポレーション関連の施設は全て再調査した。僕の主導でやったのだから、隠蔽はないはずだ。見落としはないだろうか。他に裏社会が使っている可能性のある場所は?
まだ考えなくてはいけないことがたくさんある。まだ、事件は終わっていない。きっとこれは、僕らが軍にいる限り続けなくてはいけない仕事になるのだろう。

雪が、降っていた。僕らは商店街でお土産を買って、事務室に戻ることにした。
シェリアちゃんと知り合ってからすっかりなじみになったパン屋で、袋いっぱいのパンを買った。買い物をしているときのカスケードは楽しそうだ。五年間、買い物はビアンカちゃんがやっていて、カスケードはずっと隠されていたらしい。ときどき外に出る程度だったから、こうして僕と歩けることが本当に嬉しいのだと言ってくれた。
「街を歩いたり、人と話すのっていいな。すごく楽しい」
「カスケードは、人が好きだもんね」
「ああ、だからシィちゃんに初めて会ったときは嬉しかった。……本当は、嬉しかったんだ」
彼にはまだ、本当の自由を与えてあげられない。常に僕が見ていなければならないということになっている。それなのに、ただ街を歩けるというだけで、人に会えるというだけで、彼にとっては素晴らしいことであるようだった。
「あ、ニア大佐とカスケード大尉。おかえりなさい」
「お、おかえりなさい!」
「ただいまー。シェリアちゃんの実家でパン買ってきたよ」
「ただいま。美味しいってニアから聞いたから、楽しみなんだ。シィちゃんはどれが好きなんだ?」
「えっと、私は……」
彼がたくさんの人と触れ合えるようにしてあげたい。そのために、今抱えている仕事を片付けたら、一度みんなで夕飯をとろうかと思っている。
今は年末。忘年会をするのもいいし、クリスマスも近いし、口実ならたくさんある。五年分を楽しもう。
美味しい紅茶と、賑やかな会話で。

* * *

一日、二日と日が経って。今年の終わりが近づいていた。クリスマスには忘年会を兼ねてみんなで集まろうということになり、一同は仕事を進めつつも心を弾ませていた。
カスケードはすっかり班に馴染み、初めは遠巻きに見ていた他班の者や将官たちも、次第に彼のペースに巻き込まれていった。彼には対人関係を容易く築いていく才能がある。ニアがそう言うと、大総統は「インフェリア家の人間にはそういうところがある」と返した。
彼についての報告は、毎日行なっている。実際に仕事をしてはいるが、やはり彼が監視下にあることには変わりない。彼の日々の行動を、ニアは丁寧に、詳細にまとめていた。その内容はどうやらインフェリア家にも伝わっているらしい。だが、ニアの「命令」でカスケード自身が実家に顔を出すようになったので、それもじきに必要なくなるだろう。
その日、終業後に、ニアとカスケードは司令部中庭にいた。今は雪の積もる大樹の下で、二人が思い出していたのは、夏の景色だった。
十三年前の夏、二人はこの場所で出会った。エルニーニャ軍では入隊成績の上位者は伍長階級からスタートする。だが、ニアは体力面で、カスケードは筆記試験の結果によって、その枠に該当しなかった。
親の言いつけにより嫌々軍に入ったカスケードは訓練をさぼり、自分の理想の軍人になるために真面目に訓練を受けていたニアが彼を呼びに行った。
この中庭で、この木の下で、彼らは出会ったのだった。
「懐かしいな。ニアに名前を呼ばれて、思わず下りてきたんだった」
「さぼってるカスケードを、適当にあたりをつけて呼んだら、見事に正解だったんだよね。……あのとき、君が僕を無視していたら、今頃こうして一緒にいることもなかったかも」
どんな痛みも、今へ繋がっている。あの出会いがあって、現在が、そして未来がある。見上げる大樹は、その歴史を知っている。この国に軍ができてから、いや、その前から、ずっとここにあるものなのだという。この木の下で出会ったことは、ニアの中では運命として刻まれていた。
「カスケード、僕と出会ってくれてありがとう。あの日、僕の声に応えてくれてありがとう」
ニアがそう言うと、カスケードはすっかり日の落ちた中でもよく見えるような、眩しい笑顔で返した。
「こっちこそ、ニアが呼びに来てくれて良かったと思ってる。……昔と変わらない、太陽みたいな笑顔を見せてくれて、ありがとうな」
「僕にとっての太陽は君だよ。僕はいつも君を追いかけていた」
「そうだとしても、とっくに追い越してる。今やニアは大佐、俺は五年前のまま、まだ大尉だ」
「階級なんか関係ないよ。僕は、いつだって君を追いかけて、そうやってここまできたんだから」
ニアは微笑む。カスケードと顔を見合わせて。冬なのに、温かな風が吹いたような気がした。
「……いや、きっと、並んでたんだ。俺とニアは、いつだって肩を並べて、歩いてたんだ。道はきっと、隣り合わせだった」
「そして今また、やっと同じ道を歩けるようになったんだ」
「まだだよ。俺はまだ、罪を償っていないから」
「それなら僕だってそうだ」
道は、同じだ。この先も、ずっと。
「来年の夏、また海を見に行こうよ」
「……ああ、それもいいな」
それを確かめ合うように、二人は子供のように手を繋いで、笑いあった。


これは、いつか誰かが望んだ、裏返しの物語。
初めから書き換えた、再誕の物語。
願いと希望が叶った、もう一つの、世界暦508年の物語。



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posted by 外都ユウマ at 21:07| Comment(0) | Reverse508 | 更新情報をチェックする

2014年02月27日

Reverse508 第二十六話

鈴のような音色の声。小首を傾げて笑う、愛らしい顔。揺れる、栗色の巻毛。どう見ても十代後半から二十代の少女に見える彼女は、しかし実に七十年分の記憶と技能、知識を持つ。その肉体は、この何年かのうちに作られたものなのだろう。彼女はたしかに「裏社会の天才科学者」と呼ばれた人間の、最後の作品にして、彼女自身であった。
マカ・ブラディアナ。五十三年前に姉殺しという罪を犯し、軍に身柄を拘束された、当時十七歳の女性。彼女が起こした事件を解決したのは、当時の大佐であり、のちに第二十五代大総統となったカスケード・インフェリアだった。彼の功績は国中に認められ、その名は孫に引き継がれている。
因縁を纏って、かつての少女は復活を遂げた。軍への復讐心と、インフェリア家の人間に対する妄執が、彼女をこの事態を引き起こすまでに駆り立てていた。右手には銃を持ち、その狙いは今、軍も組織も裏切ったアルベルト・リーガルへと向けられている。
「約束は守ってあげたわ。あなたが手を切り落としたから、司令部に仕掛けた爆破装置の一つは止めてあげた」
マカは可愛らしい声で言う。
「一つって……」
出血が多く、息も絶え絶えになっているアルベルトが鸚鵡返しに言うと、彼女はおかしなものを見るような目で返した。
「だって私は最初から、起爆装置が一つだなんて言っていないでしょう?」
「嘘よ! 軍のシステム上では、もう起爆するような要素なんてない! 私がこの目で確認したもの!」
クレインが反論するが、マカはふう、と溜息をついて答えた。
「何も、システムに介入するものだけが爆破につながるとは限らないでしょう。それともこの軍では、爆弾の処理なんかやったことがないのかしら?」
軍のシステムを利用したもの以外にも、爆発物がある。たとえそれが司令部を全て焼き尽くすようなものではないにしても、危険物であることには変わらない。場所によっては誘爆を引き起こし、大惨事になる。たとえば、武器庫か。あるいは、人質が集められている場所か。
「ブラック、アルベルトを連れていけ。俺とクライス、クレインで爆弾を捜す」
ツキが抱きかかえていたアルベルトの体を、ブラックに託す。ブラックは頷き、アルベルトを担いで、その手を持って、少女の脇を抜ける隙を探した。
「無駄よ。リーガルにはここで死んでもらうわ。もちろん、お前たちも一緒にね!」
マカが銃口をアルベルトに向ける。ブラックはとっさにアルベルトを庇い、前に出た。最悪、自分の命が失われても、アルベルトを守らなければならない。だって、もう、彼の手をこの手で切り落としてしまったのだから。そうでなければ、犯した罪を償えない。
「ブラック、やめて」
僕はもういいから。そう、アルベルトが言おうとしたときだった。
銃口が見えなくなった。素早く間に入り込んだ大きな影に遮られた。ブラックどころか、ツキよりも背の高い、大柄な男。背中へ伸びた髪の色は、ダークブルー。いつか敵となって現れた彼が、今度はこちらを守る盾となっていた。
「カスケード、さん?」
アルベルトの細い声が、その名前を呼ぶ。彼は振り向いて、海色の眼で笑った。
「アル、大怪我したんだろ。早く無事な場所へ行け。ここは俺たちで食い止めるから」
俺たち。彼はたしかにそう言った。そして、それは真実だった。
少女の後方には、大剣を手にした青年が立っていた。光に透けたその髪は、美しい緑色。瞳もまた同じ色で、倒すべき敵と、守るべき仲間を見ていた。
「ブラック、早くアルベルトを医務室へ。あそこはもう大丈夫。クリスが怪我をした人たちの救護にあたっているから、応急処置だけでもしてもらって。ツキとクライス、クレインちゃんは、他に危険物や動いているクローンがいないかどうか確認を」
リーダー、ニア・ジューンリーの指示に、全員が動く。脇をアルベルトを抱えて通り過ぎようとするブラックへ、マカが反射的に銃弾を放つが、それはニアの大剣によって止められた。他の三人がそれぞれその場を離れた後、残されたのはマカとニア、カスケード。少女は似つかわしくない歪んだ表情で舌打ちをした。
「あなたが、カスケードたちを動かしていた“あの方”ですね。……マカ・ブラディアナ」
ニアの言葉に、マカは嘲笑を浮かべた。
「すごいのね、名前まで知っているなんて」
「僕の仲間たちが調べてくれましたから。すでに本人は死亡していることが確認されているから、あなたは彼女が作りだした記憶保持クローンといったところでしょうか。なにしろ天才科学者だ。自分の記憶を植え付けたクローンを作り、死後も動かし続けることなど、造作もないことでしょう」
「まあ、正解! ……それはそうと、カスケード。私が“あの方”だと知っていて、逆らう気かしら? それとも記憶、戻っちゃったの?」
スピーカーから聞こえてくる口調とはまるで違うが、カスケードにも彼女こそが“あの方”であるとわかっていた。自分の名前を呼ぶその調子が同じだった。
「記憶はまだ戻っていない。でも、俺はあなたのしてきたことをおかしいと思った。ビアンカを殺したことも、イリーを殺せと言ったことも、アルを傷つけたことも、納得いかない!」
「ビアンカを殺したのはボトマージュだし、リーガルを斬ったのはその弟よ。イリーに至っては、手を下したのはカスケードじゃないの。私は指示をしただけ。従ったのは君たちだわ!」
「どうしてそんな指示をした?! 軍をなくして、平和を築く。それがあなたの理想じゃなかったのか?!」
「嘘じゃないわよ。軍がなくなれば、裏社会を支配する私の天下。私にとっての平和だわ。それにはカスケード、君の力が必要だった。かつて私が唯一求めたもの、それがカスケード・インフェリアという存在だったの。偶然にもビアンカ・ミラジナがその確保を達成してくれたけれど、彼女は君を独占しようとしていた。だから邪魔だったの。本当は五年前の時点で殺しても良かったのだけれど、君がいなくなれば軍が動くでしょう? 軍を排除するために、利用できるかなと思ってとっておいたのよ。……そう、本当は彼女の役目は、君を私に譲れば終わりだった」
ビアンカの役目は五年前に終わっている。それはいつかスピーカーを通して、マカが言っていたことだ。カスケードを手に入れた時点で、マカの中での彼女の価値はほとんどなくなっていたのだ。
それを「キメラ研究を手伝う」という名目で先日まで放っておいたのは、軍に攻撃を仕掛けるため。だが、期待はしていなかった。キメラでは、ビアンカの力では、軍を潰せるはずがないと、マカ自身が考えていた。
それに、いつまでもビアンカにいられては困るのだ。マカがほしかったのは、カスケードなのだから。
「なんで、俺を……」
「君は、君のおじいさんによく似ている。かつて私を唯一救い、そして私を裏切った、あの男にそっくり。……だから、今度こそ裏切らせないようにしようと思った。私だけのものにしようと思った。でもね、それにはビアンカと、……ニア・ジューンリーが邪魔だった」
マカがニアを睨む。そのまま、彼女は言葉を続けた。
「けれども、ビアンカのおかげでカスケードは記憶を失っていた。ニア・ジューンリーという親友なんてものの存在はすっかり忘れていた。そのままで良かったのよ。そのままでいてくれれば、私の目的は達成できた。私たちが、軍の滅びた新しい世界の父と母として君臨する。生涯、私がつくりあげた世界で愛し合う。それが私の目的」
「……あなたはカスケードが、正確にはカスケードのおじいさんが好きだったんですね。けれども彼に罪を暴かれたことで、裏切られたと思った。……あなたの計画は、五十三年前から始まっていたんだ」
マカ・ブラディアナについての報告は、ニアにも届いていた。一足早く情報部隊が動き出し、有力な説を導き出してくれたことで、ニアもそれを把握することができていた。
しかし、まさかたった一人の少女の恋心が憎しみに変わったという、ただそれだけのことがこの事態を招いたということには、衝撃と呆れしかなかった。
人間の感情というものは、かくも測れぬものなのか。――他でもない自分自身が親友に執着していたことを考えると、ニアにはわからなくもなかったが。
「五十三年。その歳月が私にとって、どんなに困難なものであったかわかる? わからないでしょう。やっとここまでこぎつけたの。ニア・ジューンリー。君に邪魔されるわけにはいかないのよ」
カスケードにニアを思い出されて困るのは、ビアンカだけではなかった。親友のことを思い出せば、彼は確実にそちらへついてしまう。それをマカも、スパイからの報告などを通じてわかっていた。わかっていて彼を軍に露出させたのは、確証がほしかったからだ。もう、カスケードがニアのことを思い出さないという確証を。ビアンカとは真逆の考え方だった。
だが、こうしてカスケードがわけもわからないままにでもニアの味方をしているということは、彼は本能的に親友を選んでいるのだろう。それがわかった今、マカがすることはただ一つ。
カスケードの居場所を、たった一つにしてしまうこと。彼が生きるための場所を、自分の傍を除いて全てなくしてしまうこと。
「もう一つの爆発物の場所、教えてあげましょうか。私について来ればわかるわ。私がその場に行って起動させる必要があるの。……こっちよ」
マカはニアの横を通り過ぎ、歩いていった。逃げようとしているのではないらしいが、罠には違いなかった。自分で起動させなければならないものを、彼女が仕掛けるわけがない。自分も巻き込まれてしまっては、彼女の目的は達成しえない。
しかしこのままマカを逃がすわけにもいかないので、ニアは彼女の後を追った。その後ろから、カスケードもついていこうとする。だが、ニアがそれを、大剣を持っていない方の手で制した。
「カスケードは、ここにいて。危険だから。きっと僕の仲間が、君を保護してくれるはず」
「でも」
「僕は、君をもう巻き込みたくないんだよ。……君を失いたくないから、僕が彼女と決着をつける」
まっすぐな緑色に見つめられると、カスケードは動けなかった。懐かしくて、切なくて、けれども思い出せないのが悔しくて、立ち尽くす。
そんなカスケードを置いて、ニアは行った。かつてカスケードが、ニアを置いて戦いの場に行ってしまったように。

マカの後を追って辿り着いた場所は、練兵場だった。爆発物を仕掛けるにはどうにも広すぎる場所だ。ただし武器庫とつながっているので、そちらに被害が及べば大変なことになる。
だが、彼女は練兵場の中心に向かった。そしてそこで足を止めると、ニアに振り向いた。
改めて見ると、実に愛らしい少女だった。彼女が過去に殺人を犯したということすらも信じられないほどだ。栗色の髪を揺らし、天使のように微笑む彼女が、いったいどうして凶行に及んだというのだろうか。
「ニア・ジューンリー。あなたには、両親がいないんだったわね」
唐突に、彼女は言った。ニアは頷き、「そうだね」と答えた。
「それがどうしたっていうの?」
「私には両親と姉がいたわ。貴族家で、裕福な家。周りは羨ましがると同時に、憐れんでいたわ。姉が重い病気を患っていて、生まれたときからずっと臥せっていたから。両親は姉にかかりきりで、あとから産まれた私にはあまりかまわなかった。私はずっと、メイドに育てられていたの」
ふっと、マカの表情が陰った。彼女の手から銃が滑り落ち、地面にあたった。彼女は今、自分自身の心の傷を、ここに至るまでの動機を、語ろうとしていた。
「私は両親によって十分な教育を受けさせられてきたけれど、両親からの愛は全て姉に注がれていた。私はずっと寂しい思いを抱えて生きてきた。姉さえいなければ、と思ったことも、何度もあった。……でもね、耐えたのよ。十七歳の、あの日まで」
十七歳――彼女が事件を起こした年齢だ。おそらくは今の体も、当時を模したものなのだろう。そのとき起きた出来事が、彼女の運命を動かした。
「ある日、私は初めて人に助けてもらったの。初めて私だけを見てくれる人に出会ったのよ。彼にまた会いたいと願った。彼は殺人や危険薬物取引に携わることの多い軍人だった。そう、二代前の大総統、カスケード・インフェリアよ。私は彼に再び会うために、事件を起こした」
殺人担当なら、きっと事件があれば来てくれる。また彼に会える。マカはそう考えて、姉を殺した。姉のもとに足繁く通っていた叔父に全ての罪をかぶせ、自分は悲劇の主人公を演じれば、彼が助けに来てくれるはずだと信じた。――ところが、彼女の罪は暴かれたのだった。当のカスケード・インフェリアと、そのパートナーによって。
「彼を私のものにするために、あと一歩及ばなかった。牢獄の中で、彼と再び巡り会うにはどうすればいいか考えたわ。そしてひらめいたの。私が彼に追われればいいんだって」
刑期を終えた彼女は、裏社会に入り込んだ。持ち前の知識に研究と実践を重ね、長い時間をかけて裏社会の重鎮に君臨した。しかし、そうしている間に当のカスケード・インフェリアは、若い頃に受けた傷の後遺症によってこの世を去っていた。子供と、孫を残して。
しかし子孫が生きていて、それがかの恋焦がれた人と同じ名前だということを知った彼女は、未来に可能性を託した。自分が若返り、かつ不老不死になれば、孫に近づくチャンスがある。かつての夢を叶えることができる。そうして誕生したのが、記憶保持クローンだった。全ては彼女の、恋という執念が起こした事件だった。
「その体も、やはり記憶保持クローンなんですね」
「そうよ。若くてきれいでしょう。でも、当時は誰も褒めてくれなかった。私に手を差し伸べてくれたのは、あの人だけだった。だから手に入れたかったのに。何をしてでも私のものにしたかったのに。どうしてみんな、私の邪魔をするのかしら?」
ニアには理解できなかった。恋に狂った女の執念は、わからなかった。彼女は幸せになろうとして、壊れてしまったのだ。その土台には、愛されなかったという悲しみがあった。――彼女は情念によって、これまでの人生を生きてきたのだ。一度、死んでまで。
「あなたのために、たくさんの人が死んだんですよ。それでも自分の恋を優先させようというんですか? 自分の欲こそが第一と考えるんですか?」
震える声でニアが問うと、マカは眩しいくらいの笑顔で言った。
「人間が生きるのに、欲以外に何が必要だというの?」
そして銃を離した右手の袖口から、何かをとりだした。ライターだった。
「今度こそ、私は欲しかったものを手に入れる。君は必死でカスケードの居場所をつくろうとしていたようだけれど、そんなものはいらないわ。それはね、私の傍だけで十分なのよ」
ライターは蓋の開け閉めで火をつけることができるものだった。蓋を開け放したまま落とせば、当然何かに引火する。だが、ここには隅にある武器庫以外に、引火するようなものはない。それに万が一のことがあっても、スプリンクラーが作動するようになっている。「黒髪黒目の男」の正体がカスケードであると暴いたときのように。
だが、全てはマカの計算のうちだった。午前九時、ラインザーのクローンたちに紛れて軍施設内に入り込んだマカが、最初に行なったこと。それは、練兵場に来ることだった。「天才科学者」である彼女には、無臭の引火性の液体を用意することなど容易かった。
もちろんさっきまで監視室にいたのだから、そこにあるスプリンクラーの作動装置をオフにすることだってできる。
ライターが落ちた瞬間、その場はニアとマカを取り囲むように燃え上がった。
「何てことを……こんなことしたら、君も危険だろう?!」
ニアが叫んでも、彼女は笑っていた。
「私は不老不死よ。この身が滅んでも、私の記憶を受け継いだクローンが目的を果たしてくれる。死なんか怖くないわ。……それより、人の心配なんかしている場合? あなたにはたしか、三つほど弱点があったわね」
にい、とマカの唇が三日月のような笑みをつくる。その間にも、すでにニアの体は震えはじめていた。
「一つ、親友のカスケードを含む仲間」
大剣を握る手から、力が抜ける。支えを失った重い塊は、その場に倒れた。
「二つ、五年前から見えにくくなった目」
目がかすみ、足もがたがたと震えだす。炎の赤を見るだけで、十四年前の悪夢がよみがえる。
「三つ、十四年前の火事のトラウマ。燃え盛る炎!」
全てが消えゆくその瞬間が、頭の中を埋め尽くしていく。炎によって崩れる家具に、壁や柱。その下敷きになって動けなくなった両親。気が遠くなり、それを助けられなかった自分。たった一人残された、あの寂しさ。つらさ、苦しさが、胸に湧き上がってくる。
ニアは膝からその場に崩れ落ちた。頭を抱えて、首を振った。また、これだ。一人になる。全てが消える。自分が、消える。
「やだ……やだよ……」
マカの笑い声が遠くに聞こえた。

司令部内に侵入していたクローンは全て倒され、ボトマージュとアクト・カッサスはマカによって殺された。オレガノ・カッサスだけが、クリスに捕まって医務室にいた。
その医務室に、ブラックがアルベルトを担ぎながら彼の手を持って現れた。クリスはぎょっとして、二人に駆け寄った。
「いったいどうしたんですか?! これは、ボクにもどうにもできませんよ。軍病院から医師を手配しましょう」
「頼む。……オレが斬ったんだ。オレが、この手で……!」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、ブラックが言う。クリスは彼を気にしながらも軍病院に応援を要請した。おそらくは、何の問題もなくここまで来られるだろう。全てのクローンが死したことを、オレガノに確認してもらっている。
アルベルトは、まだ意識を保っていた。泣いているブラックの頬に無事な左手を添え、笑顔を浮かべて見せる。まるで痛みなど感じていないかのように。
「泣かないで、ブラック。男の子でしょう」
電話を終えたクリスが応急処置を施している間も、アルベルトはブラックに微笑みかけていた。

ディアは兄と姉そしてアスカのクローンの死体を丁寧に並べて、見つめていた。これから彼らをどうするべきだろう。クローンとはいえ、人間の死体だ。どのように葬ってやるのが一番良いのか、わからなかった。
そして、ボトマージュ。何が起こったかわからないままに死んだこの男は、どうすればいいのだろう。
「大総統さんよ。俺、手続きとか全然わかんねぇんだ。こいつら、どうしてやったらいい?」
「ボトマージュは死亡証明を出したうえで、共同墓地に埋葬だな。……クローンの三人には、戸籍もなければ、そもそも人だと認識して処理を進めて良いものかもわからない。このままでは廃棄だろうな」
「人の形してるのに、ゴミみたいに捨てられちまうのか。……本当に、何のために生み出されて、死ななきゃいけなかったんだろうな」
声は途中から涙交じりになり、まともな言葉にならなかった。殺してしまったという罪悪感。クローンという人間が作りだした命への憐み。それが混ざり合って、心の中に溜まっていく。そんな思いを、ディアは抱えていた。抱え続けなければならなかった。
大総統が彼の背中をそっと叩いた。幼い子供にそうするように、優しく。

遺体の目を閉じさせると、まるで鏡を見ているような錯覚にとらわれる。こんなに似ているのに、自分たちは別々の人間で、異なる人生を歩んできた。そしてそれはどちらも、幸福と不幸の両方で満ちたものだったはずだ。
アクトは、死んでしまったもう一人のアクトを見つめながら、彼のために泣いた。きっとそれができるのは、自分と、彼の父であるオレガノと、彼の母くらいなものだから。
生きていれば、友人になれたかもしれない。アクトの父と、オレガノのように。――オレガノはアクトの父リヒテルを殺したといっていたが、本当はそうしたくなかったのではないだろうか。本当に親友だったからこそ、同じものを好み、同じ人を好きになってしまったのではないか。アクトには、そう思えてならなかった。
「おい、もう終わったのか。俺たちは助かったのか」
将官たちがにわかに騒ぎ出す。それに対してメリテェアが、「ここはもう終わりましたわ」と答えた。彼女も、グレンたちも、よく戦ってくれた。残るは後始末だ。
「親友……か。ニアさん、無事かな」
きっとカスケードとの決着をつけようとしていたであろうニアのことを思う。彼は今、どのあたりにいるのだろう。カイによれば、ニアはカスケードを取り戻しに行ったらしい。それは達成されたのだろうか。

スプリンクラーだけでなく、火災報知機もオフにされていたために、練兵場で何が起こっているかは誰も知らないはずだった。そこへ向かったニアとマカ以外には、知ることができないことだった。
それにもかかわらず、カスケードは迷いなく走り出していた。ニアはこっちにいるはずだと信じて疑わずに進んだ。
――君をもう巻き込みたくないんだよ。
それはいつか自分が抱いた気持ちと同じだった。たしかにそう思っていた。だから、ニアを置いて一人で戦いに行ったのだ。目の調子が悪そうなニアを戦いに出すことは危険だと判断して、たった一人でキメラに立ち向かったのだ。
全ては、ニアを失いたくなかったから。あの場面でニアを戦いに出してしまったらもう二度と彼が戻ってこない気がしたから。――そうなってしまったら、自分はきっと酷く後悔するだろうとわかっていた。
そして、今も。ここで走り出さなければ、ニアのもとに辿り着かなければ、絶対に後悔する。幼い頃にした約束を守れなかったと、苦しむことになる。そしてニアは、苦しみさえも味わえなくなるのだ。
そんなのは駄目だ。絶対にあってはいけない。――後悔しないように、何が何でもニアを守らなければ。そのためにカスケードは、生きてきたのだから。
足が辿り着いたのは練兵場だった。五年ぶりにニアに再会した、あの場所だ。その時の自分は、彼のことが判らなかった。記憶をなくし、たった一つのものに縋っていたから。
いや、声は憶えていた。声だけは忘れられなかった。人は誰かを忘れるとき、声から忘れていくのだと、いつかオレガノが言っていた。では、声だけを憶えているというのは、どういうことだったのだろう。
それほどまでにその声が優しく、柔らかく、自分をいつも呼んでくれていたということではないのか。いや、確実にそうと言い切れる。
空白の時間の中で、いつも傍にいてくれたのは。

「ニアぁぁああ――!!!」

赤くて眩しくて、けれども心を闇に閉ざすような炎の中。その声がたしかに聞こえた。自慢の耳が捉えた声だ、間違いない。
ニアは我に返った。けれども、炎に囲まれていては、足がすくんで動けない。立つことすらもままならない。恐怖がこの身を焦がして、焼き尽くしていく。そろそろ、息をするのも苦しくなってきた。
高笑いをしていたマカは、すでに倒れていた。酸欠になったのかもしれない。だが彼女は、クローンが記憶を引き継いでくれているから、死んでもかまわないのだと言っていた。
「そんなはず、ないだろ……」
死んだら全てが終わってしまう。だから、命は尊い。どんな命も、死ぬために生まれてきたのではないはずだ。それはマカだって、例外ではない。
助けたかった。この体がいうことをきいてくれるなら、たとえ敵であっても救いたかった。それがニアの目指した、軍人の姿だから。そうなろうと、約束したのだ。
大好きで、ずっと一緒にいたいと思っていた、親友と。
捜し求めて、やっと再会した、かけがえのない彼と。
傍にいて、一緒に笑っていた、唯一無二の存在。カスケード・インフェリアと。
「ニア、大丈夫だ。俺が、ずっと手を繋いでてやるから。炎なんか怖くないぞ」
後ろからそう声がかかるとともに、力の入らなかった手に温かいものが触れた。
振り返れば、海色の瞳。手はしっかりと繋がれている。それから彼はそのまま、倒れているマカに近づき、あいている方の腕で彼女を担いだ。
「ニア、立てるか?」
「……うん。カスケードがいてくれるなら、平気」
彼がいるだけで、笑ってくれるだけで、力が湧いてくる。このままどこまでだって行けそうだ。ニアは立ち上がり、カスケードとともに、炎の壁に向かった。
飛び込めば大火傷は必至だ。だが、ここに居続けても結果は同じだ。それならば、踏み出すしかない。視界は驚くほどクリアだ。きっと、この炎も越えられる。
カスケードと固く手を握り合い、覚悟を決めた。
そのときだった。天井から大量の水が降り注ぎ始めた。それは炎の勢いをみるみるうちに鎮めていき、ついには練兵場をもとの状態に戻してしまった。武器庫に引火する前に、誰かがスプリンクラーを作動させたらしい。
火が消えると、びしょ濡れのニアたちの頭の上に声が降ってきた。
『ニアさん、大丈夫?! 火傷とかしてない?』
「ハル……?」
門番を病院に連れて行ったはずのハルだった。病院からすぐに戻ってきて、シェリアとともに司令部内のクローン討伐にあたっていたのだろう。その過程で監視室に入り、ちょうど練兵場の様子を見たのだ。
『司令部内のクローンは全滅しました。組織の人間がまだいたら、速やかに投降すること』
今度はアーレイドだ。二人は合流していたのだ。そして、みんなと一緒に司令部の危機を救っていたのだ。
きっと、これで、全てが終わった。ニアは安堵し、それからカスケードを見た。彼は笑みを浮かべて、そして、「終わったんだな」と言った。
「……さて、俺は投降しなくちゃな。組織の人間だったんだ、けじめをつけなくちゃ」
「うん……そうだね。でも、記憶がなかったんだから、少しは情状酌量の余地があると思うんだ。僕も君を弁護したいと思う」
ニアが言うと、カスケードは目を丸くした。それからニアの手を握っている手に、ほんの少しだけ力を加えながら、その言葉を口にした。
「五年経って成長したな、ニア。大剣の扱いも昔よりかなりうまくなったし、人を弁護できるくらいの立場も得た。仲間もたくさんできたんだな。……俺がいない間、心配かけて、ごめん」
成長した。昔より。いない間。――そんな言葉は、五年より前のことをわかっていなければ使えない。思い出さなければ、比較なんかできない。
「カスケード、思い出したの?」
おそるおそる、ニアは尋ねる。返ってきたのは、
「長いこと待たせてごめんな。ただいま、ニア」
この五年で一番聞きたかった、そのひとことだった。
頬を涙が伝う。迎えるときは笑っていたかったのに。けれども、止まらないから、そのまま笑顔をつくった。
背の高い彼を見上げながら、ニアは涙を浮かべながら、ふわりと笑った。
「おかえり、カスケード」


マカ・ブラディアナとオレガノ・カッサスは中央刑務所に送られた。ヤークワイア・ボトマージュとアクト・カッサスは、ひとまず軍病院に送られることとなった。死亡は確認されているが、額に穴が開いたままではあんまりだという一部からの声で、傷だけは治療することとなった。
クローンたちは皮膚片を採取してサンプルをつくった後、全て焼却処分されることとなった。ラインザーのクローンだけではなく、ディアの兄と姉、アスカも同様に処理される。
司令部内は後始末に追われることとなった。くたくたに疲れていても、大総統が病院に送られても、やらなければならない仕事があるからだ。早く元の状態に戻さなければならない。国の安全を守るために。
施設内から、システム異常以外の爆発物が見つかることはなかった。システムの方も改めて構築され、自動環境調整システムはすぐに正常稼働するようになった。
カスケード・インフェリアの処分はまだ決まっていない。ただ、しばらくは留置所で身柄を預かることになった。しばらくはモンテスキューの世話になる。
彼の記憶は、完全ではないが、ほとんど戻っていた。尋ねれば五年より前のことも答えられ、同時に自分が組織にいた間のことも語ることができた。彼の証言をもとに、さらなる逮捕者が出るかもしれない。
「カスケード、調子はどう?」
組織による司令部襲撃から一夜明けて、ニアは留置所を訪れた。面会室に来ていたカスケードは、五年前までそうしていたように、髪を結いあげていた。ニアがこれまで真似しようとしていた、無造作な結い方だった。
「どうって。ニアこそ大丈夫か? 昨日の今日で、疲れてるんじゃないのか」
疲れは顕著に出ていた。ニアは今日も薬を飲み、眼鏡をかけている。けれどもカスケードはそれを知らない。ただ「目が悪くなってしまったんだな」ととっている。
「僕は大丈夫だよ。こうしてカスケードに会いに来る時間が取れる程度にはね。ほら、僕、大佐だから。みんなが頑張ってくれているおかげで、堂々とサボれるんだよ」
「俺に会いに来るのも仕事のくせに、何言ってるんだ」
「あはは、ばれたか」
司令部襲撃事件の後始末は、軍全体で行なうことになっている。その中で、カスケードへの事実確認や事情聴取などは、大総統の一存でニアがすることになったのだった。部下たちが忙しくしているのに、自分だけこうして親友に会いに来ているのは後ろめたい気もしたが、迷っていると「早く行って来い」と背中を押された。
「それじゃ、仕事だから何点か質問を。憶えてる限りは答えてね」
「わかった」
こうして少しずつ真実を明らかにし、同時にカスケードのまだ思い出せていない記憶も取り戻していかなければならない。しばらくはそれが、ニアの仕事だった。もちろんジューンリー班のリーダーとして、一大佐として、他の仕事もこなさなければならない。裏組織の拠点についての報告も残っている。やることは山のようだ。
「……よし、今日はこのくらいにしておこうか。また明日、今度はサクラちゃんも連れて来るよ。カスケードが帰ってきたって連絡したら、喜んでたよ」
「サクラ? サクラって、俺の妹のサクラか? いつの間に知り合いになったんだ?」
「それは明日話してあげる。この五年のこと、カスケードにもたくさん話してもらわなくちゃならないけれど、僕だってたくさん話したいことがあるんだからね」
そのために、これまで必死でやってきたんだから。そうして話していくうちに、ちゃんとカスケードの居場所を用意していたのだと、わかってもらいたい。

だが、うきうきしてもいられない。まだニアがやるべきことは、数多い。部下たちの心のケアや、ぼろぼろになってしまった司令部の修繕の手伝い。それから、たった今話したカスケードの、今後の処分について。
軍人にはもう戻せないだろうとは思っている。戻らなくてもいい。カスケードさえ無事に戻って来れば。ニアはそう考えていた。
だが、軍全体を見ると、そう簡単にはいかない問題なのだった。
大総統ダリアウェイドは、怪我を負いながらも、もうその椅子に戻っていた。ニアが大総統室に入ると、包帯と絆創膏にまみれた姿で迎えてくれた。部下たちが頑張っているのに、自分だけのうのうと入院しているわけにはいかないということだった。
それに、早く処遇を決めなければならない事項がいくつかある。カスケードのことも、その一つだった。彼をいつまでも留置所に置いておくわけにはいかない。彼個人の問題ではなく、インフェリア家の人間が留置所にいるという事態そのものも問題だった。
「インフェリア家の人間が軍に敵対し、戻ってきたとはいえ、そう簡単には受け入れられない状況ができてしまった。だが、このまま放っておくのも軍にとって脅威になる可能性がある」
傷が突っ張るのか、時折表情を歪ませながら、大総統は言う。「脅威って……」とニアは反論しかけたが実際そうだった。一部隊を片手で放り投げるように倒してしまう彼の力は、軍にとって十分に恐るべきものだ。その力をまた裏社会に利用されるようなことがあれば、軍は今度こそ危ういかもしれない。
「国益、軍益を考えれば、反対を押し切ってでも彼を軍に戻すのが一番良いのだがな」
「……それはもしかして、彼を軍の管理下に置くというお考えですか?」
顕著な例がある。軍がアーシャルコーポレーションから回収した、核兵器やクローン、生物兵器などのデータだ。これらは軍の管理下に置くことによって、国にとっての脅威ではなく、軍による有効利用を目指している。
カスケードをもそう扱うというのなら、彼に自由はなくなる。軍という檻の中で、一生飼い殺すことになる。それはインフェリア家の軍家という歴史を繋ぐことにもなり、カスケードが一度軍に敵対したという事実を隠蔽することも容易くなる。対外的に見れば良いこと尽くしなのだが、当の本人はどうだろうか。常に軍の監視下にあり、今回の件を知っている人間からは白い目で見られるかもしれない。軍を潰そうとしたのに軍に所属しているという矛盾の痛みを、彼はずっと抱え続けることになる。それははたして、カスケードにとって得になるのだろうか。国益や軍益をにはなっても、彼という個人を潰してしまうことにはならないだろうか。
「閣下、僕は賛成できません。カスケードはせっかく裏組織から自由になったんです。それなのに軍に縛ろうだなんて、そんなことは……」
「ジューンリー大佐。私は、常に国益を優先して選択をする。それに君の班は、彼を受け入れるために作ったものだ。全力で彼を守り、同時に監視する。君だからできることなんだよ」
親友を監視する。そんなことが、あっていいのか。少なくともニアは、そんなことはしたくない。そんなことのために、仲間を集め、彼を捜していたわけではない。「居場所をつくる」とは、彼を囲って外へ出さないようにするという意味ではなかったはずだ。
「本人の考えも、聞いてください。カスケード自身の希望を考慮してください。記憶は戻りましたが、彼が軍にまた属したいと思うかどうかは別の問題です」
「……そうだな。君が彼の思いを聞いてくるといい」
しかし、聞いてきたところで、この大総統が考えを変えるだろうか。カスケードはこのことを聞いて、どう思うだろうか。
――今のエルニーニャは軍がトップだ。軍の決定が国を動かしている。
カスケードの言葉が思い出される。軍の頂点に君臨する大総統が「こうだ」と決めたなら、それに逆らう余地はない。たとえカスケードが、その決定を拒否したとしても。ニアが反対したとしても。個人の思いなど、大衆の前には役に立たない。

思い悩みながら歩く廊下は、まだ汚れている。練兵場も、現在は閉鎖されている。幸いにも書類の紛失や破損がなく、物品もほとんどはまだ使える状態であったために、中央司令部がその機能を失うことはなかった。
あれほどの大事件だったのに、大総統が外部には一切の情報を公開しないことを決めたので、町の人々の生活はいつも通りだ。説明を求める声もあがってはいるが、軍はそれをシャットアウトしていた。
外部情報取扱係はいつぞやのように電話応対に追われていたが、全てに対して「あの騒ぎは大規模な演習である」と答えていた。家族が軍にいる人々からの疑問に対しても、同じことを返すように命じられている。
あの恐怖を実際に味わった軍人たちの心の傷は、そうして封じ込められていった。誰にも本当のことを言えず、軍の内部だけで全てを終わらせようとする。それは軍の権威の失墜を防ぐためだけではなく、市民に不安を与えないためでもあったのだが、納得のいかない者も多かった。
「あ、ニアさん。戻ってたんですね」
「おかえりなさい。カスケードさんの様子はどうでした?」
施設内の片付けにあたっていたハルとアーレイドが、ニアを見つけて駆け寄ってくる。それに曖昧に笑って返して、「元気だったよ」と言った。
「事件の後始末を早くしてしまって、あそこから出してあげたいんだけれどね。家に帰してあげたいな」
それからふと、大切なことを思いだした。まだ彼らに言ってなかったことがある。そっと彼らの頭に手を置き、今度はいつもの、ふわりとした笑顔で言う。
「昨日は、助けてくれてありがとう。君たちのおかげで、僕もカスケードも生き延びることができたよ」
「監視室に入ったのは偶然だったんです。ツキさんたちから、爆発物があるかもしれないってことを聞いて……」
「それで、監視室も調べようと思ったんです。そしたら、練兵場が燃えてて、ニアさんたちがいるのが見えたので、なんとかしなきゃってなって」
「うん、君たちの判断は正しかったよ。本当にありがとう」
あのときハルたちが動いてくれなかったら、ニアもカスケードも、そしてマカも大火傷を負っていた。カスケードはその危険も顧みずに、炎の中に飛び込んできてくれたわけだが。それを思うと、自分はいつだって誰かに助けられている。その恩返しが、できるだろうか。
「……ニアさん、アイスクリーム食べに行こうよ。カスケードさんが留置所を出たら、みんなで」
唐突にハルが言う。ニアは目を丸くして、答えを探した。しかし見つける前にアーレイドが続ける。
「そうだな。あの店混むらしいから、みんなで行けるかどうかはわからないけれど。だからニアさん、元気出してください」
ニアがまだたくさんの心配事を抱えていることをわかって、彼らはそう言っていた。ニアに元気になってほしくて。いつでも笑顔でいてほしくて。その気持ちは十分に伝わってきた。ニアは頷き、それからもう一度笑った。
「そうだね。僕もカスケードが戻ってきたら行くつもりだったんだ」
幸せまで、あと少しで手が届く。そのためには、前を向いていなければ。カスケードが、みんなが、褒めてくれるこの笑顔で。
事務室の方はすっかり片付いていた。将官用事務室以外は被害が少なかったようだ。事件当時、ほとんどの者が出払っていて、残った人員があまり分散していなかったためだろう。おかげですぐに本来の仕事に取り掛かることができた。
「あ、ニアさん帰ってきた! 聞いてくださいよ。ブラックの奴、まるで俺たちにやれと言わんばかりに書類を分類して置いていったんですよ」
「ちゃんとやる気なんだね、カイ」
ニアが事務室に入ってくるなり、カイが文句を言う。それを笑って流して、ニアは自分の机に向かった。今この部屋で作業をしているのは、グレン、リア、カイの三人だ。ラディアは病院に赴き、下級兵に出てしまった怪我人の治療を手伝いに行っている。あとで病院に彼女らの様子を見に行こうと、ニアは思っていた。
「ブラックはアルベルトさんのことがあるからな。見舞いに行っている間の仕事は俺たちがやらなきゃ、進まないだろう」
「……と、グレンさんが言うので、俺は仕方なくしてやってるんですよ」
「文句言いながらもちゃんとやるんだから。カイ君ってば素直じゃないわよね」
まるで昨日のことが嘘のような、いつも通りのやり取りだ。ここがそれほど被害を受けていないからだろうか、すでに日常が戻りつつある。ニアはそのことに安堵していた。上層部がどんなに面倒なことになって、自分たちがそれに巻き込まれようとも、変わらないものはある。変わらず振る舞うことが、何よりもニアへのエールになると思っているのかもしれない。
「ニアさん、あとで病院行きますよね。アルベルトさんの様子、教えてください」
「うん、もちろん。……あれ、リアちゃん、アルベルトのこと名前で呼んでたっけ?」
「みんなそう呼んでますし、私もそうしようと思って。せっかく助けてくれた人に、よそよそしくしたくないなって思ったんです」
これを聞いたら、当の本人はどんなにか喜ぶことだろう。彼にとって良い見舞いになるよう、早く教えてあげたい。それとも、退院してから驚かせたほうがいいだろうか。――どちらにせよ、アルベルトはしばらく戻ってこられそうになかった。戻れたとしても、実働からは離れることになるだろう。彼の手は、完全に治ることはないという。切り離された手が再びくっついただけでも奇跡なのだ。だが、どんな奇跡が起こっても、過去を変えることはできない。ブラックは兄を傷つけてしまったことを、一生悔やむのだろう。
だが彼を、彼らを、支えられる仲間がここにいる。今もこうして、仕事を代わりにやったり、思いをはせたりしてくれている。そんな場所をつくることができたはずだと、ニアは自負していた。彼らはもう、自分たちだけで悩まなくていいのだ。もちろん、ここにいる者たちだって。
机の上の仕事を少し片付けてから、ニアは外部情報取扱係室へ向かった。ここも幸いにして被害のないところだったが、シィレーネが倒れていたことやカスケードが機器を使用したことで、昨夜までは担当者すらも立ち入り禁止になっていた。今朝からようやく、通常の業務が始まっている。
「ツキ、お疲れさま。……あれ、クライスとクレインちゃんはどうしたの?」
部屋にはここの担当者であるツキだけでなく、ベルドルード兄妹もいた。こちらを見止めると、すぐにいすを用意してくれる。ニアが礼を言いながら席につくと、クライスがことのあらましを教えてくれた。
「昨日、ここ機能してなかったんで。そのあおりが今日一気に来ているみたいだから、ちょっと応援を」
「情報処理室はまだ立ち入りできないので、どうせ私は手が空いてますし」
クレインがそう言っている間にも電話は鳴る。受話器をとって、話を聞いたあと、本日お決まりの文句で返す。――「昨日は大規模な演習がありまして」だ。今日はずっとこの調子だろう。
「そういうことだ。今のところはその対応ばかりで、特別な情報は入っていない。裏社会の一組織が潰れたって情報は、それほど拡散されていないとみていいんじゃないか?」
「今のところはね。……それとも今年は大きな事件が続いたから、みんな麻痺しちゃってるのかもしれない」
あまりに忙しくて意識していなかったが、もう年末が近いのだ。カレンダーは最後の月を表示している。この年は、おそらく一生忘れられないものになるだろう。
「この件にさっさと片をつけて、忘年会ができるといいな。カスケードも一緒に」
「……そうだね。そうなればいいんだけど。大総統閣下の考え次第になりそうだ」
さすがにこの忙しそうな状況の中、大総統と話した内容を相談することはできなかった。ニアは「邪魔してごめんね」と言って、外部情報取扱係室をあとにした。
そろそろ、病院へ行くにはちょうど良い頃合いだろう。

軍病院はいつにもまして大盛況だった。昨日の被害者や、彼らを看るために来ている応援で、人はいっぱいだ。
「おや、ニアさん。アルベルトさんのお見舞いですか」
応援に駆り出された一人であるクリスが、こちらに真っ先に気づいてくれた。彼も一息ついたところらしい。
「君のお見舞いもね。お疲れさま」
「ボクは平気ですけれど。ラディアさんがここぞとばかりに酷使されて疲れていますので、労ってあげてください」
「ラディアちゃん、大丈夫なの? あの子の力、かなり精神力を使うよね」
「それなのに、頑張ってくれましたよ。ニアさんは、目は大丈夫ですか?」
「まだ大丈夫。明日になったらサクラちゃんも来るから」
ラディアの居場所を聞き出して、ニアはクリスと別れ、院内を歩く。なじみの看護師たちに挨拶をして休憩室に通してもらうと、そこに彼女はいた。
「ラディアちゃん、だいぶ疲れているみたいだね」
「あ、ニアさん。私は全然平気ですよ。みんなの役に立てて、本当に嬉しいんです」
笑顔を浮かべてはいるが、疲労はありありと見て取れた。「無理しちゃだめだよ」と頭をなでると、「はーい」と、ほんの少しだけ弱くなった返事があった。
「……私、ちょっとびっくりしてるんです。こんなにたくさんの人を治癒して、誰にも『異常だ』って言われないことに。私の持っている力は、やっぱり疎まれたこともあったから。でもそれがないうちは、まだ動けるかなって。誰かが私を必要としてくれているなら、動きたいなって思うんです」
「気持ちはわかるけれど、それで倒れたらいけないからね」
「そうですね、気をつけます。……ニアさんも、気をつけてくださいね」
私より無理しやすいんですから、とラディアは冗談めかして言う。いや、きっと本心からの言葉だった。
休憩室を出て病室へ向かおうとしたところで、シェリアとシィレーネに会った。昨日、シィレーネは外部情報取扱係室で倒れていたので、検査入院をしていたはずだった。
「シィレーネちゃん、もう動いて大丈夫なの?」
「はい。これから手続きをして、寮に戻るところなんです。シェリーさんってば、わざわざ迎えに来てくれたんですよ」
「そりゃあ、心配だからね」
相変わらず、二人は姉妹のような親友同士だ。話を聞いてみると、シィレーネには特に異常は見られなかったようだ。明日には仕事に復帰するという。
「ニアさんには、カスケードさんのことも話さなくちゃならないので、あとでお時間いただければと思っています」
「そうか、カスケードと一緒にいたんだよね。彼といてくれて、ありがとう」
「だって、約束しましたから。私はニアさんと、カスケードさんと、それからみんなとずっと一緒にいるんです」
いつかニアとしてくれた約束を、彼女は守ってくれようとしている。今回も、これからも。そんな彼女の表情は、今までで一番明るいものだった。きっとどんな結末になっても彼女はその思いを貫いてくれるだろう。ニアは頷いて、寮へ戻っていく二人の少女を見送った。
そうして、ようやく最後の目的地へ。アルベルトのいる病室をノックすると、複数の返事が聞こえた。見舞いに来ていたのは、彼の弟だけではないらしい。
「ディアとアクトも来てたんだね。怪我はちゃんと診てもらった?」
「うん。おれもディアも、大したことはないけど」
「ニアこそ大丈夫か? 今日、休んでねぇだろ」
ずっと動き回っていたことは知られていた。苦笑しながら「平気だよ」と返して、それからアルベルトとブラックへ視線を移す。目の下にくまがあるブラックと、右手に包帯を巻いたアルベルト。どちらも痛々しかった。
「具合はどう?」
「僕は大丈夫ですよ。すぐにでも戻りたいくらいです」
だが、アルベルトはニアの問いに即答した。ニアが目を丸くしていると、ブラックがため息交じりに言った。
「ニアみたいなこと言ってんじゃねーよ。絶対安静だろうが」
「え、僕ってこんな?」
さらに驚いたところへ、アクトとディアが頷きながら「あー……こんなかも」「ブラックもうまいこと言うじゃねぇか」と言い合う。やはりニアとアルベルトは似ているのだろうか。あるいは、アルベルトがわざとニアの真似をしているのか。
「……アルベルト、わざとだね」
「ばれましたか」
ニッとアルベルトが笑う。思っていたよりも元気そうだ。たとえそれが普段から仕事を詰め込みすぎているニアへの皮肉だったとしても、ブラックに責任を負わせないためであっても、ニアは安心した。
「本当にしたたかだな、君は。裏の情報を掴むために自分から捕まったりして」
「大佐だって、スパイの疑いがかかるのは明白なのに、カスケードさんと会ってたそうじゃないですか。僕のことばかり言えないでしょう」
「もうやだ、この兄貴と上司……」
「ブラック、お前大変だな」
「落ち込んでる暇もないね」
まるでニアの部屋に集まったときのように、部屋が賑やかになる。そう、落ち込んでいる暇などない。これから日常を取り戻していくのだから。
ニアはひとまず、カスケードの記憶が戻ったことや、彼の処遇について大総統が不穏な考えを持っていることなどを話した。ツキに相談したくて、けれどもできなかった内容だ。幸いここには年下ではあるが階級の近い者が揃っている。
「閣下のやり方が、大佐は気に食わないんですか」
「気に食わないんじゃなくて、カスケードをそこまで軍に縛りつけておくのもどうかなって思うんだ。彼はしばらく、軍を否定する考え方を持っていた。いくら大総統権限でそれができるからって、簡単に軍に戻って来いだなんて、言えないよ」
たしかに最初は、カスケードを見つけ出し、班で受け入れるのが目的だった。そのためにニアは仲間を集めた。だが、状況はまるで変わってしまった。ほんの十か月で、事態は急転した。できることなら、カスケードの意思で、今後のことを決められるようにしてほしい。それが今のニアの願いだ。
軍に戻ってこなくとも、ニアがカスケードの親友であることには変わりないのだから。
「……僕、もう言ってしまいましたよ。大佐がカスケードさんのために居場所をつくってるって」
アルベルトが言う。ニアは「彼と話したの」という言葉を口にしかけて、話すだろうなと思い直した。けれども、まさかそこまで話が及んでいたとは。カスケードが記憶を取り戻した要因の一つは、アルベルトなのかもしれない。
「大佐は、言ってもいいと思いますよ。軍で待ってるって。そこには自分たちがいるって。記憶を失って居場所を求めていたカスケードさんは、大佐がつくりあげた場所に希望を持っていると思います」
「アルベルトに賛成。ニアさんの本当の気持ちを言っちゃったら? 決定権はカスケードさんにあるかもしれないけど、それくらいは言ってもいいよ。だって、ずっと捜してたじゃない」
「お前ら、親友なんだろ。簡単に言えないなんて、そんな遠慮が必要な相手なのか?」
次々に返ってくる意外な言葉を、ニアは受け止める。自分の本当の気持ちとは、彼に伝えたかったこととは、何だったか。五年間、積もり積もったのは、年月と経緯だけか。ニアの想いはどうだっただろう。会えたらそれで終わりではないはずだ。その先のことを思って、これまでやってきたはずだ。
「……アルベルト、結構カスケードってヤツと話してるんだな。ニアより距離近いんじゃねーの?」
ぽつり、とブラックが言った。そのひとことに対するとっさの反応が、ニアの思う全てだった。
「ずるいよ、アルベルト! 僕だって、もっとカスケードと一緒にいたいのに!」
数秒の静寂。ニアはハッとして口を押さえる。なんて子供みたいなことを言っているんだ、と思うと、顔が熱くなる。
他の四人は顔を見合わせ、それから破顔した。
「ニアさん、それそのまま言ったらいいよ」
「自分で言って、顔赤くしてんなよ。あーおかしい」
「ニアでもガキみたいなこと言うんだな」
「やっぱり似てますね、カスケードさんと大佐」
口々に追撃され、ニアはさらに赤くなる。子供みたいな嫉妬だが、きっとそれが正直な気持ちなのだ。――彼と一緒にいたい。その思いが、ニアをここまで連れてきた。
気づかされたのはありがたいが、笑われるのは少し悔しい。ニアは咳払いをして、「そういえば」と切り出した。
「リアちゃんがアルベルトのこと、名前で呼ぶようになってたよ。カスケードのことはともかく、リアちゃんと距離が近くなって良かったね」
「マクラミーさんが? それは朗報ですね」
アルベルトも一緒に照れて、からかわれればいいと思った。だが、アルベルトは思ったより冷静だ。もっと何か仕返しを、などと本当に子供じみたことを考えだしたニアに、もうひとこと、言葉がかけられた。
「いい報せをありがとうございます、ニアさん」
ニアの耳が間違えるはずはない。これはたしかに、アルベルトの声だった。
ああ、また、してやられた。彼らを仲間にしてよかった。
視界が、クリアになっていく。

「アルベルトさんのご様子はいかがでした?」
司令部に戻ったニアに、メリテェアが尋ねた。
「意外に元気そうでした。ブラックも」
「そうでしたか。……ニアさんも、お元気そうでよかったですわ」
彼女の安心したような笑顔が、眼鏡を通さずともよく見えた。
「メリテェアさん、今までありがとうございました」
「あら、いやですわ。これからもよろしくお願いします、のほうが嬉しいです」
まだまだ、これからでしょう。彼女がそう言う隣で、ニアは、そうですね、と返す。
「……カスケードを受け入れるために、作った班でした」
ようやく本来の目的を果たせそうなところまできている。けれどもその前に、この班は班員にとっての居場所になっている。
初めは久しぶりの中央の雰囲気に馴染めなかったニアも、今ではこの班に救われていた。
「みんながいてくれて、僕はここまで来られました。僕が人を集めたんじゃない。みんなが集まってくれてこの班があるのだと、今は思うんです」
彼らとともに、カスケードを迎えたい。彼の選択がどんなものであっても。




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posted by 外都ユウマ at 21:17| Comment(0) | Reverse508 | 更新情報をチェックする
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